ヘイトリリックのないラップについて

2014年2月19日 ·

 十三の第七藝術劇場で「自由と壁とヒップホップ」を見てきた。この映画館は、いつものようにガラガラ。
 この映画は、パレスチナ人ラップミュージシャンが、イスラエルの占領、差別、貧困の中でラップを歌うことで感情や思想を呼び覚まし、同じ境遇の人々に共感を呼んでいく話。特に女性ラッパーの背中を押して表現を援助するところはかっこいいし、当の女性ラッパーもかっこいい。
 パレスチナ人のラップをこの映画で聞く限りは、そこにあるのは、ほとんどすべてIメッセージであることに僕は着目した。言い換えると、イスラエルへの「ヘイト リリック」が驚くほどない。情況に言及しているし、社会批判にもなっているが、けっして「イスラエルのクソ野郎」のようなことは歌わない。
 しかし、昔見たエミネムの映画などでは、ラップミュージシャンはステージで互いをけなし合う対決をしていた。これはこれでフェアな言葉のスポーツのような趣があった。しかし、ラップは今、目の前に具体的な姿の見えない「民族」に対して「ヘイト リリック」のようなものは用いないのだと確認する思いだった。
 ただ自分の気持ちを表現する。誰かの気持ちをアドヴォカシーする。それがラップだ。
 http://www.cine.co.jp/slingshots_hiphop/

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長澤靖浩
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