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イザヤ書を読む まとめ

(1)最も抑圧されている側に立つのが預言

2013年の日記

「イザヤ書を読む」を読み始める。1990年に本田哲郎(釜ヶ崎在住のカトリック司祭)が書いたのだ。これで今回中央図書館で借りた本は終了だ。 読み始めるとすぐ彼の立ち位置がわかる。 「預言というものは、口寄せや占いとは全く異質なものです。(中略)現代の感覚で一番近い表現は”社会分析による状況判断”ということかも知れません。(中略)しかし、現代の情報を駆使した社会分析がすべて預言と言えるかというと、必ずしもそうではありません。預言には一つのはっきりした視点というものがあります。それは神への絶対的な信頼に基づいて、社会の中で最も抑圧されている人々の側に立つことです」 神学とは何かということをこれほど明確に表現しているのは、僕の知る限り、本田哲郎だけだ。 (預言者というものが現れたのは)「帝国の脅威に対して財力と武力による解決しか考えないような風潮にあった時でした。社会に”価値観の危機”が訪れたときに預言者は出現すると言えるかもしれません。」 「抑圧と疎外の苦しみのただ中にあった捕囚の民に派遣された(中略)われらの預言者たちは、民に向かって、富と力を失ったからといって絶望することはとんでもない思い違いであり、むしろ、今こそ神の力が発揮される時であることを宣言しました。」

(2)弱者の立場にある誇り

「イザヤ書を読む」より。

民は少数派であること、弱者の立場にあることを誇りとし、そこに両足を踏まえて戦えばよかったのです。国家としての体面、繁栄、力を維持しようという思いからではなく、民の中の最も小さい者、弱い者を守るために、どうすればよいかという視点に立って、外圧(アッシリア)に対して対応すればよかったのです。(中略)修道会も活動グループも、数が増えて組織が完備されないと不安で落ち着かず、人材と資金獲得に勢力を注ぎます。しかし、福音の価値観から見れば、小さく、貧しいグループの精一杯の働きのほうが、ゆとりのある大きな団体の物量活動よりも、はるかに力強く、人々への影響も大きいというのが実感です。自然発生的な草の根の無数の小さな活動グループが、その小ささゆえに弱者との共感が得られることを認め、その微力さを積極的に肯定し、組織としてではなく、ネットワークとして横に連帯していくことこそ、最も福音的であり、神の救いの業に協力しやすい状態を保つことになるのです。

(3) 富と権力の帝国に頼るな

「イザヤ書を読む」続き。

 正義(ツェダカー)と裁き(ミシュパト)とは、イザヤにおいて、「弱者の側に立って痛みを共感するところから物事を判断し、不当に抑圧され、奪い取られている権利を取り戻すとともに、富と権力の座にあるがゆえに真実が見えなくされている人々をそこから引き降ろして、共に平和のために働けるようにする」ことだということは、先に述べた。 本田哲郎は書いている。 「しかし、もし、神の救いの力である正義と裁きの実践ではなく、富と権力のエジプト帝国に頼るなら、頻発するナイル河の氾濫に巻き込まれるように、彼らの抑圧と搾取の「洪水」に、昼も夜も押し流されるはめになるとイザヤは警告します。エジプト帝国が提供する安全保障の「寝床」は、安心して寝ていられるようなものではないことをはっきりと告げます。」(「イザヤ書を読む」p106)

 このエジプトをアメリカに読み替えたら、今の日本の状況として読めるであろう。

(4) ナタクから福祉へ

「イザヤ書を読む」読了。いやあ、よい本だった。第9章「解放はすべての人に」にこうあった。

 果たすべきことの第一は正義の実践です。悪(レシャー 不正な抑圧)による束縛(足枷)を断ち、権力者が自分たちに都合よく統御するために人々の肩に取り付ける「軛」のひもの結び目をほどいて、正義に反する管理統制によって虐げられている人を解放することです。そしてついには抑圧の構造をもつ管理体制そのもの、「軛」を「折る」(ナタク 打ち壊して使えなくする)ことです。(中略) 果たすべき第二のことは福祉の活動です。(p218)

 これは意識的にこの順に書かれている。なぜなら読み進むとこうあるからだ。

 福祉的な対応はそのつもりがなくても、憐れみや同情から出る「施し」になってしまいがちです。福祉活動だけが先走って活発になればなるほど、与える側ともらう側というおかしな位置関係ができてしまうものです。むしろ、弱者の人権尊重を主眼とした社会正義のための活動と戦いの中にこそ、福祉は位置づけられるものと言えるでしょう。(p219)

 ちゃんと物のわかった人だなあ。まあ、これが普通というべきだけど。あの、市の障害福祉室を何とかしてえ。苦笑。

 はい。これで年内返却の図書館の本は終わりかと思ったら、後、二冊あった。 「琉球語の文法と辞典」チェンバレン 「沖縄シャーマニズムの近代 聖なる狂気のゆくえ」塩月亮子

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長澤靖浩
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