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アミタの観た夢 (Xー2)

 命の糸の最後の一本が切れてしまわないうちに、あの「光に抱かれて」という曲に出会ったのは僥倖だったというほかない。
 中学生になっていた奈津子は、定期試験の勉強をするとき、深夜ラジオを聴くのを常としていた。幸い、学校の成績は優秀な方だった。せめて未来のある進路を切り開いて、世間を見返してやりたいという執念が、奈津子を勤勉さに駆り立てていたせいかもしれない。
 その日も奈津子は午前一時頃までラジオを聴きながらノートに試験に出そうな歴史用語を整理していた。奈津子が好きだった、しわがれ声のラジオパーソナリティが、「ポーランドでこのような曲が発表されたことは一つの事件と言ってもいいと僕は思うんです」と語った。
 いくつかの単語が奈津子の脳裡に引っ掛かり、彼女は鉛筆を動かす手を止めた。
 「それでは聴いていただきましょう。『光に抱かれて』」
 日本でも富田勲や喜多郎によって広く知られるようになってきていたシンセサイザーの音が、いきなり奈津子の心をわしづかみにし、そのまま彼方に連れ去るように窓の外に向けて走っていった。
 やさしげだがどこか機械的な、聴いたことのないようなボーカルが、電子楽器の演奏に溶け込むようになじんで、奈津子の耳元に何かを囁いた。ポーランド語の歌詞はまったくわからなかった。意味の上で、ヒントになるのは、紹介された邦題「光に抱かれて」だけだった。
 確かに奈津子は、耀く巨大な腕のようなものに抱かれている気がした。抱かれていると深いやすらぎに満たされていく。その腕はおそろしいほどの安定感に満ちていて、母親の繊細でか細い手ではなく、圧倒的な力を秘めた父親の腕のようだった。
その揺ぎなき安定感に身を委ねていると、心身が軽くなっていくようだった。頭が大きなガス風船になって、体が宙に浮かぶ。瞬く間に自宅の屋根を抜けて通り、街の上空に出た。
ジオラマを上から見ているようだ。街の小さな屋根のひとつひとつの下に家庭があり、それぞれの家庭は幸福と闇を孕んでいるのだと思えた。幸福だけの家庭も、闇だけの家庭もない。天井には灯りがともっていてその下に、寄り添ったり、争ったりする家族が住んでいて、部屋の片隅には昏がりがある。その昏がりは、その家庭が孕んでいる心の闇に繋がっている。
みんな同じ?
そう思って遠くから見下ろしていると、胸が熱くなった。たたなずく甍の波がいとしくて、そのすべてを抱きしめたいような思いに見舞われた。
いつも胸の奥深くに巣くっていた黒い塊のようなものが液体化し、流れはじめた。悲しいわけでも、感動しているわけでもないのに、涙腺が切れたように涙が漏れている。泣いているというより、ただ水が流れている。
「光に抱かれて」というタイトルが染み入るようにわかる。今、自分は限りなき光に抱かれていると奈津子は感じた。抱かれているという感覚の中に、締め付けられるような圧迫感もなければ、かといって頼りなげな心もとなさもない。
しっかりと抱かれているが、同時に自分が星空に向かって、全世界に向かって解き放たれていくようでもあった。ひとりでどこまでも歩いていける気がした。地球の裏側でも。
その深い安心感は奈津子が初めて感じるものだった。
「これが父親に抱かれているときに幼い女の子が体感する気持ちなのだろうか。私は知らなかったが、皆はこれを知っていて、だからこの無茶苦茶な世界を歩いていくことに私ほどの不安や恐怖がないのだろうか」
奈津子はそう考えた。
曲が終わると、奈津子はゆっくりと地上に降り立ち、気がつくと勉強机の前に座っていた。
目の前に歴史の参考書が開かれている。坂上田村麻呂は征夷大将軍として蝦夷征服のために活躍した。その名前がテストに出ると書かれていた。
不思議なことに奈津子は「光に抱かれて」というこの曲を二度と聴くことはなかった。ラジオから流れてこないので、レコード店に行って探したが見つからない。奈津子にしては珍しく、店員にタイトルを言って探してもらったが、店員すら見つけることができなかった。
あの夜、ラジオから流れてきた音楽は幻だったのか? そう疑うほど、その歌の痕跡はこの世界に見つからなかった。
ひとつ言えることは、あの曲を聴いている間だけ、奈津子は「生きた心地」がしたということだ。何度でも聴きたかった。カセットテープに入れてウォークマンを持ち歩き、ヘッドフォンを耳につけたまま、一日中聴いていたかった。そうでなければ、この世界は生きるには辛すぎる。
いつかまたあの曲に出会えるだろうか。
それとももしかして、あの感覚は別の形をとって自分に訪れるのだろうか。
たとえば、初めて彼氏ができて、抱きすくめられたときに?


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