日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決された」ので「個人請求権はない」説を検証する
承前
こうして結ばれた1965年の日韓請求権協定だが、それでもそこに「完全かつ最終的に解決された」と書かれているのは、国家間の外交保護権が放棄されたということに過ぎない。
個人の損害の請求権が消滅したのではない。
しかも、国家間の外交保護権が放棄されても、個人の請求権は消滅するものではないと主張し続けてきたのは、ほかならぬ日本政府なのである。
日本政府がそう主張してきたのにはわけがある。
サンフランシスコ平和条約により、日本は国民と国家の請求権を放棄した。
これに対して広島の原爆被爆者が日本に対して裁判を起こした。原爆投下は国際人道法に違反しているから、日本国は米国に損害賠償を請求する権利を持っていた。それを国が勝手にサンフランシスコ平和条約で消滅させてしまった。であるから、日本国は国家の民衆への責任として補償を行えと提訴したのである。
しかし、日本政府は補償を拒否した。サンフランシスコ平和条約で放棄したのは国家の外交保護権だけで、アメリカ政府に対する個人請求権は消滅していない、アメリカ政府に請求しなさいと主張したのである。
同じように1956年の日ソ共同宣言でも、外交保護権は放棄された。そこでシベリア抑留などの被害者は日本政府に補償を求めた。が、日本政府は個人請求権は消滅していないので、補償の必要はないという同じ主張をおこなった。
日韓請求権協定についても、日本政府は放棄されたのは外交保護権だけであると解説してきた。したがって韓国内に財産を残してきた日本人は、韓国政府に要求すればいいのであって、日本政府には補償の責任はないと主張してきたのである。
(まあ、とにかく戦争・侵略は国家の身勝手!)
さて、韓国の民主化が進み、1990年ごろから韓国人被害者が、日本の裁判所で訴訟を起こし始めた。
この問題が国会で取り上げられた際の柳井外務省条約局長の答弁は重要である。
「日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」(参議院予算委員会 1991年8月27日)
同じ見解は外務省調査月報などでも示されてきた。この解釈に従い、1990年以降韓国人被害者が起こした数十件の戦後補償裁判で、「日韓請求権協定で解決済なので請求権はない」と日本側が主張したことは1999年まで一件もなかった。
ところが2000年以降、中国人強制連行被害者などの裁判で日本の下級裁判所が、原告の主張を認め、企業や日本政府に不利な判決を下すことが続くと、日本政府は突然、解釈を変更した。(政府による手のひら返し)
原爆の被爆者については、放棄されたのは外交保護権だけなので、相手国の裁判によって請求できる。日本政府が補償する必要はないと主張してきた日本。
それが外国から賠償請求を受けると「条約によって解決済なので裁判で請求することはできない」と主張し始めたのである。
しかし、多くの地方裁判所や高等裁判所では、国の新しい主張を認めなかった。ところが2007年、中国人被害者の事件について、最高裁判所が日本政府の新しい主張を受け入れた。(司法による手のひら返し)
以後、韓国人による裁判についても日韓請求権協定により請求できないとして敗訴するようになったのである。
韓国人が蒸し返しているのではない。
日本政府が解釈を変えたのである。
それでも下級裁判所は日本政府の新しい解釈を否定する判決を出し続けた。
国家に従順な者しかその地位に就くことのできない最高裁が、日本政府の主張を認めるようになったのである。
民主主義の基本である三権分立が成り立っていないのだ。