伊勢湾の海人の魂
明治の民間信仰の弾圧は、伊勢神宮の膝元、三重県において、一番激しかったことは、拙著『魂の螺旋ダンス』改訂増補版でも述べた。
三重県においては「路傍にあって民衆の信仰を支えてきた道祖神などの記念塔碑とか月待・日待の行事などは、いちはやく姿を消して、よほどの山奥や離れ島か、英虞湾沿海の辺地に出かけないとみることができない。」(『日本列島・南への旅』桜井徳太郎著)
この叙述が気になった私は三重県鳥羽市の答志島に調査に出かけた。その船の中からそれぞれ無人島の大築海島、築海島を撮影することができた。
左 大築海島 右 小築海島
大築海島神社は明治41年に八幡神社(答志島)に合祀され、小築海神社は明治42年に八幡神社に合祀されたとガイドブックにはある。
だが、有人島の答志島の八幡神社には大築海、小築海の祠はなかった。
一方、地元の人によると、大築海島、小築海島には今でも祠があり、年に一度祭祀が行われると言う。
明治末期の神社合祀令に書類上だけは従い、合祀したことにし、実際には従っていないのだ。
国家神道のことなど知ったことではない。
海人(うみんちゅ)にとって、日々の命がけの航海、漁師としての生涯を守ってくれる神々を整理統合せよという国家の命令など、意味を持たない。
いいぞ、海人の魂!
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