新インド仏教史―自己流ー
その3
龍樹の論法の特異さを見てきました。現代日本では、称賛(しょうさん)の的である龍樹に疑いの目を向けるきっかけになると存じます。別な面から、龍樹に対する非難を見ていきましょう。中村元氏は、以下のようにその様子を伝えています。
『中論』の思想は、インド人の深い哲学的思索(しさく)の所産(しょさん)の中でも最も難解(なんかい)なものの一つとされている。その思想の解釈に関して、近代の諸学者は混迷(こんめい)に陥(おちい)り種々(しゅじゅ)の評価を下している。・・・インド学者一般の態度をみると、中観派を虚無(きょむ)主義(しゅぎ)であるとみなす人が多いように思われる。中観派は、何となく気味の悪い破壊的な議論をなす虚無(きょむ)論者(ろんしゃ)である、という説は、近代になって初めて唱えられたのではない。・・・仏教においてさえも中観派は虚無論者だとみなされていた。古代インドにおける伝統的保守仏教のうちでも代表的な哲学派であった説(せつ)一切(いっさい)有部(うぶ)は中観を目して「都(と)無論者(むろんしゃ)」(一切が無であると主張する論者)と評している・・・古来、空は「無」または虚無と解されやすい傾向がある。中観派を攻撃する人々は「空」を「無」と同一視(どういつし)し、中観派は一切を否定してその虚無を説いたのであるから虚無(こむ)論者(ろんしゃ)であると論じている。
(中村元『人類の知的遺産13 ナーガールジュナ』昭和55年、pp.48-180,ルビほぼ私)
説一切有部については前の資料で簡単に触れました。過去・現在・未来にあるものはすべて(一切)存在する(有)と主張する(説)学派です。特殊な時間論です。中観派とは正反対の立場と考えてよいでしょう。説一切有部も特殊な思想を述べているように見えますが、中観派は、それを上回る非常識な考えを説いてるとみなされているようです。例として、龍樹作とされる『廻諍論(えじょうろん)』という書物には、次のような言葉があります。
もしわたくしがなんらかの主張をしているならば、このような〔形式通りの主張ではないという〕誤りがわたくしに起こるであろう。けれども、わたくしには主張というものがないのだから、誤りもわたくしにはない。(長尾雅人『世界の名著2 大乗仏典』昭和42年、p.249の訳、〔 〕私)
これも理解の難しい言葉です。「わたくしには主張というものがないのだから、誤りもわたくしにはない」とはどういう意味なのでしょうか?「わたくし」が龍樹本人を意味するとするならば、龍樹が説いた「空」は彼の主張ではないのでしょうか?単に、反論されるのを逃げているようにさえ見えます。一応の理解を得るために、少し、インド人が正統と認める主張について触れましょう。龍樹以前、インドでは、主張を論理的に行うための形式が定まっていました。ニヤーヤ学派と呼ばれる学派があって、論理的主張を専門に扱っていました。それが、悟りを得る手段である旨を宣言していたのです。彼らの規定がインド一般に通用するものでした。彼らに順じて、龍樹が「空」を主張するケースを取り上げてみます。「一切は空である」こう主張するはずです。この場合、ニヤーヤ学派の規定では、主張の主語、「一切」は主張者である龍樹自身が実在すると認めているものでなければなりません。そうすると、一切の実在性を認めない龍樹は「一切」という主語は使えなくなります。つまりニヤーヤ学派の規定に従うと、「一切は空である」と主張出来ないのです。ということは、龍樹はインドで一般的に認められている形では「一切は空である」と言えないことになります。主張する時のこの過失は、「所依(しょえ)不定(ふじょう)」と呼ばれます。ニヤーヤ学派の規則に違反しないためには、正規の主張法を回避しなければなりません。そこで、上に見た『廻諍論』の言葉が出てくるのです。龍樹は正規な主張で主張していないので、過失も起こらないと言い張ったのです。中村元氏は、このような姿勢について、こう指摘しています。
中観派の哲学者たちは、自分たちの立場が論駁(ろんばく)されることは、ありえないと確信をいだいていた。そうして大乗仏教が、(禅を含めて)神秘的な瞑想(めいそう)を実践しえたのは、そのような思想的根拠(こんきょ)があったからである。(中村元『人類の知的遺産13 ナーガールジュナ』昭和55年、p.102,ルビ私)
確かに、批判・過失は避けられたでしょうが、反論者はこの姿勢に納得しないでしょう。胡(ご)麻化(まか)されたような気がするでしょうし、論議から逃げている印象を与えます。これでは、インド中の嫌われ者になります。事実、虚無論者として忌(い)み嫌われたのです。