「倶舎論」をめぐって

XIII
この辺の事情を加藤純章博士は、講演録においてわかりやすく述べている。
 私は世親のことを学生さんによく「食えないおじさん」といいます。というのは『倶舎論』の中で彼は、自分が賛成しない有部の主張を述べるとき、kilaという語をしばしば挿入して、暗に反対の意向を示しています。また、自分の主張なのに、さりげなく書いてあるところもある。また頌(詩)の部分では「私は説示しよう」(pravaksyami)と一人称単数で示しながら、長行(註釈)の部分では「私たちは述べるであろう」(jnapayisyamah)などと一人称複数の形で書いている。しかもその註釈の部分では詩の作者を「師」(acarya)の語で示している。つまり『倶舎論』は詩の部分は世親が造り、註釈の部分は彼の弟子たちが祖述した形になっている。どうしてこんな風に自分の姿をかくそうとしたのかは、謎であります。(加藤純章「アビダルマの存在理由と大乗仏教徒の苦悩」『駒沢短期大学仏教論集』3,1997,p.9)
また、チベットでも『倶舎論』はそのように偈と注を区別して扱っている。白館戒雲本名ツルティム・ケサン氏は、日本に帰化した元ゲルク派の僧侶である。氏はこう述べている。
 チベット大蔵経においても、『倶舎論』の本頌が、そのヴァスバンドゥによる註釈と別本として録されているが、『倶舎論』(mNon mdzod,mDzod)〔ゴンゼー、ゼー〕といえば、八品〔8章〕までの本頌部分のみを指し、ヴァスバンドゥによる註釈部分は、第九品〔第9章〕をも含め『自註』(mDzod ran ‘grel)〔ゼーランジェル〕と呼ばれ、決して『倶舎論』と呼ばれることはない。このようなチベットにおける、『倶舎論』という呼称の用法は、たんに呼称の問題として処理されるべきものではなく、本頌部分と註釈部分における、ヴァスバンドゥの論述に学説上の相違を認めるという意識に拠るものなのである。
(白館戒雲(ツルティム・ケサン)「アビダルマ研究に関わるチベット文献からの二、三の情報」『加藤純章博士還暦記念論集 アビダルマ仏教とインド思想』2000,p.72、〔 〕内私の補足)。
実際に、講読する場合には、我々もその点を意識しておかなければならない。とにかく、『倶舎論』の思想的重層性には、悩まされる。実は、上で指摘されていること以上にやっかいなことがあるのである。

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