Tips of Buddhism

No.34
Olcott began his sermon by noting that the Theosophical Society had been established “to study the history of ancient myths and symbols,religions and science,the psychological powers of man and his relations with all the laws of nature.”He then defined theosophy over against Christianity.But in the process,he made theosophy sound like an at least vaguely Christian faith-a strange combination of Protestant liberalism,William H.Channing’s associationism and Ralph W.Emerson’s transcendentalism.(S.Prothero,The White Buddhist,The Asian Odyssey of Henry Steel Olcott,1996,pp/55-56)

(訳)
オルコットは、神智学協会確立とは、歴史を学ぶためにあると銘打って説法した。〔その歴史とは〕古代の神秘・シンボル・宗教や科学・人の超能力・あらゆる自然の法則と人との結びつきである。その時点で、少なくとも、彼は神智学をキリスト教に対峙するものと規定した。しかし、その途上において、漠然とだけれど、最低限、神智学はキリスト教の信仰のように健全なものとなした。プロテスタント自由主義、ウィリアム・チャニングの合同主義、ラルフ・エマーソンの超絶主義との奇妙な連携である。
(解説)
神智学協会創設メンバー、オルコット(Henry Steel Olcotto,1832-1907)という人の評伝から引用した。「神(しん)智(ち)学(がく)協会(きょうかい)」(The Theosophical Society)とは、オカルト教団に他ならない。しばらく、神智学協会にまつわる状況を述べておこう。オルコットの盟友(めいゆう)は、マダム・ブラバツキー(Herene Petrova Blavatsky,1831-1991)というカリスマ的なロシアの婦人。彼女はオカルト崇拝者の間ではHPBと呼ばれ、各国の心霊サークルに出入りしていた。折しも、1840年台、欧米各国ではポルターガイストやラップ現象が大いに話題となってた。アメリカのスピリチュアリスト(心霊主義者)の人口は200万人を越えていたということなので、オカルトやスピリッアリズムは大流行だったのは確かである。ここに名が挙がっている人物や主義には詳しくないが、19世紀アメリカの思想的多様性を伺い知ることが出来る。概して、正統的キリスト教には反抗的だった人々が名を連ねている。中でも、エマーソン(R.W.Emerson,1803-1882)は有名であり、鈴木(すずき)大拙(だいせつ)にも「禅とエマーソン」という論文があるほどで、日本に与えた影響は大きい。少しだけ、エマーソンについて触れてみよう。ある論文にはこうある。
 超越主義思想のじっさいの実践の場は、エマソンが主催する超越クラブ(Transcendental Club)であった。しかし、エマソンの思想に投合した人たちが書き残した膨大(ぼうだい)な量の『ダイアル誌』(The Dial)(=羅針盤)を見るかぎり、超越クラブは、支離滅裂(しりめつれつ)クラブとしかいいようがないのである。気分を高揚(こうよう)させて書き、神に憑依(ひょうい)されることをねがったが、なにも起こらなかった。(前田禮子「アメリカの超越主義思想 マックス・ミューラーの宗教学成立の周辺―エマソンとの関わり他―」『追手門学院大学人間学部紀要』第18号、2005,pp.37-38,ルビ私)
さて、一見仏教とは無関係に写るオルコットだが、実は、明治仏教とは深い関係がある。彼は、廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)で排斥(はいせき)されていた明治仏教界に招かれ、救い主とされた。明治期の仏教は、様々な価値観が入り乱れ、神秘主義的な思想も歓迎されていた。駒澤大学初代学長、忽滑(ぬかり)谷(や)快天(かいてん)(1867-1934)なども『心霊(しんれい)の謎(なぞ)』というその筋の本を訳している。概要を知りたい方は、佐藤哲朗『大アジア思想活劇』(サンガ2800年)、より専門的に研究したい方は、吉永進一「オルコット去りし後―世紀の変わり目における神智学と“新仏教徒”」『近代と仏教』41をご覧頂きたい。なお、この英文はプロテロ(S.Prothero)の『白い仏教徒』(The White Buddhist)からの引用である。英文末尾には、必ず、出典を明記している。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?