日本人の宗教観ーある観点ー

その2
さて、「煩悩即菩提」の煩悩は今でも使うので意味は分かりやすいでしょう。一方の菩提は悟りのことです。bodhi(ボーディ)というインドの言葉、すなわちサンスクリット語を、音で漢訳したもので、これを音写語と言います。これとよく似た言葉が、「生死即涅槃」です。生死は普通「せいし」と読みますが、仏教では「しょうじ」と発音します。他にも仏教独特の読み方があるので、その都度(つど)、覚えて下さい。「涅槃」は悟りの境地を示す言葉で、インド語ニルヴァーナ(nirvana)の音写語、意味は「煩悩を吹き消す」ということです。
 では、細かい内容が分かったところで、三崎氏の説明を追ってみましょう。氏は、「煩悩即菩提」を感じさせるような種々の書物を引用し、次のように言います。
 鴨長明(かものちょうめい)(1159~1216年?)の『発心集(ほっしんしゅう)』に言う。
  数奇(すき)と云(い)ふは、人の交(まじわり)をこのまず、身のしずめるをも愁(うる)へず、花のさきちるを哀(あわれ)み、月の出入(でいり)を思ふに付けて常に心をすまして世の濁(にごり)にしまぬを事とすれば、おのづから生滅(しょうめつ)のことわりをも離れ、名利(みょうり)の余執(よしゅう)つきぬべし。これ出離(しゅつり)解脱(げだつ)の門出(かどで)に侍(はべ)るべし。
 また明恵(みょうえ)(1173~1232)の遺訓にもある。
  歌(うた)連歌(れんが)に携(たずさわ)る事は、強(あなが)ち仏法にては無けれ共、加(か)様(よう)の事にも心数寄(すき)たる人がいて仏法にもすきて、智恵(ちえ)あり、やさしき心使ひもけだかきなり。…やさしく数寄て実(まこと)しき心立(こころだて)したらん者に、仏法をも教へ立て見べきなり。
雅楽(ががく)においても同じ考えが示されている。
  管絃(かんげん)はすきもののすべき事ナリ、すきもの云(いう)は、慈悲、つねにありてもののあわれをしりて、あけくれ心をすまして、花をみ月をながめても、なげきあかし、おもいくらして、此世(このよ)をいとい仏にならんと思べきなり。
 このように物語や詩歌管絃を仏道に引寄せるー乃至(ないし)は仏道(ぶつどう)との合致を考えるーようになるのは、平安時代の狂言(きょうげん)綺語(きご)も転(てん)法輪(ぽうりん)によって賛仏乗(さんぶつじょう)に加えられるという消極的な芸術容認論に比べるとき、芸術の存在理由について新たな観点を仏教から養われたからであって、この方向は同時に鎌倉室町の芸術をヒューマンで自立的なものに進展させていくのである。(三崎本、pp.119-120、ルビはほとんど私、1部標記変更)
鴨長明は、世を嫌い、世の中と離れて暮らす遁世(とんせい)という生き方をした人です。遁世とはあまり馴染(なじ)みのない言葉だと思いますので、少し、面白い解説を紹介しておきましょう。
 世間という集団からちょっとはみ出すのは恥ずかしいことですが、しかし完全に抜けでてしまえば、かえって恥の感覚からは自由になる。ひきこもり者や隠遁者(いんとんしゃ)〔=遁世者〕は、そんなことを私達に教えてくれます。開国しようと戦争に負けようと恥の文化は崩壊せず、かえって強まる日本において、そこから自由になる手段としてのひきこもりを選ぶ人達の気持ちはよくわかりますし、西行や〔『徒然草(つれづれぐさ)』の作者吉田(よしだ)〕兼好(けんこう)のような偉大な文学者が、いつかひきこもりの中から生まれるかもしれない、と思うのでした。(酒井順子「センス・オブ・シェイム」『オール讀物』第72巻、第8号、平成29年、p.359、〔 〕
内・ルビは私)
今風に言えば、遁世者とは「ひきこもり」みたいな人達です。でも、これを書いている酒井さんは、「ひきこもり」を悪く言っていませんね。
 さて、そのような昔の「ひきこもり」すなわち遁世者の代表みたいな鴨長明は、「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」の名文句で始まる『方丈記(ほうじょうき)』の作者です。彼の言わんとしていることは、よく理解出来るでしょう。数奇というのは、世の中に背を向けて、自分の好きなことに没頭(ぼっとう)することを言います。そういう暮らし方をしていると、自然に「出離解脱」つまり悟りに至る、と彼は言いたいのです。次に登場する明恵は、著名な出家者で、よく和歌も詠みました。彼の主張も分かりやすいですね。和歌や連歌に熱心な者は、仏教を行ずるとまでは言えないけれど、心がやさしくなり、智恵も備わるので、仏教を学んでいるのと同じである。明恵はこう言っているのです。次にあるのは、ある邦楽師の言葉です。彼の言い分も、邦楽に一心に励む者、即ち数寄者であることは、出家者と同じである、ということでしょう。すべて本覚思想に裏付けられた芸術観に他なりません。ここには、前回紹介した画家、神田日勝のように、切実に自己の芸術を深めようとしている姿があることを忘れてはなりません。ただ単に、仏教を取り入れようとしているのではありません。現代風に言えば、実存主義的な悩みがあったのです。

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