新インド仏教史ー自己流ー

その6
 ここで、ついでながら呪術的思考、今風に言えばオカルト的思考の例を、インド以外のものから引用し、あらためてその思考パターンを確認しておきましょう。話は西洋のことです。
 占星術(せんせいじゅつ)の領域で最も煩瑣(はんさ)な展開を見たこの「上なるものと下なるもの」、つまるところ大宇宙と小宇宙とのパラレリスムの中心には、当然のことながら人間が置かれた。人間は一個のミクロコスモスであり、それはマクロコスモスたる宇宙―天体の布置と運行と変化をただちに反映するという考えこそ、出生(しゅっしょう)占星術(せんせいじゅつ)や占(せん)星(せい)医学(いがく)の基礎をなしているからである。(有田忠郎「鉱物の夢と種子の秘儀」『ユリイカ 臨時増刊号 オカルティズム 総特集』6-9,1974,p.52、ルビ私)
また、こういう記述もあります。
〔『チャタレー婦人の恋人』で有名なD.H.〕ロレンスが〔『逃げた雄鶏(おんどり)』という小説で〕仕組んだ洞窟(どうくつ)のオカルティズムはこれに止まらない。抱擁(ほうよう)の場面でイシスの巫女(みこ)の身体が生命の柔らかく白い岩、深く襞(ひだ)のある侵入できる岩と表現されているのは暗示的(あんじてき)である。死んだ男の甦(よみがえ)ったファラスが侵入する巫女の身体の洞窟とは即ち彼女の子宮に他ならない。彼は巫女の子宮に生命と復活の種を播(ま)き、天は大地を孕(はら)ませる豊饒(ほうじょう)の雨を降らせる。ここにマクロコスモスがミクロコスモスである人間の営みと、まさにオカルスティックに重ね合わされている秘図(ひず)がくっきりと浮かんでこないであろうか。(橋本槙矩「ロレンスと再生の隠秘主義」『ユリイカ 臨時増刊号 オカルティズム 総特集』6-9,1974,p.230、ルビ・〔 〕内私)
マクロコスモスが梵に、ミクロコスモスが我に相当します。質感はインドとは異なりますが、理論的構造は、一緒なのです。思考パターンは、AとBとの同置、同一視という呪術の思考です。


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