「倶舎論」をめぐって

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直接『倶舎論』に言及してはいないが、アビダルマ理解の重要性は、チベットの仏教史書からも、伺える。アティシャ(Atisa,982-1054)は、10-11世紀に、インドからチベットに渡り、後期のチベット仏教に甚大な影響を与えた。密教好きとして知られるが、その修業時代には、アビダルマの研鑚も行ったのである。ショヌペル(‘Gos lo tsa ba gzhon nu dpal,1392-1481)の『青冊』Deb ther sngon poには、以下のような下りがある。
 〔アティシャは〕、ラマ、ダルマラクシタ(dha rmaraksirata、Dharmaraksita)に、オタンタプリー(‘o tan ta pu ri ,Otantapuri)で、『大毘婆沙論』(Bye brag tu bshad pa chen mo,Mahavibhasa)を12年お聞きになりました。(/bla ma dha rmaraksirata la ‘o tan ta pu rir lo bcu gnyis su bye brag tu bshad pa chen mo gsan/、四川、1985,p.298,l.19-299,l.1)
 更に、『倶舎論』が、古来の日本でも仏教研究の中心的役割を果たしてきたことを、著名な古典から述べておこう。例えば、清少納言の『枕草紙』には、次のようにある。
 正月に寺にこもりたるは、いみじうさむく、雪がちに氷りたるこそをかしけれ。雨うち降りぬるけしきなるは、いとわろし。清水などにまうでて、局〔つぼね〕する程、くれ階〔はし〕のもとに、車ひきよせ立てたるに、帯ばかりうちしたるわかき法師ばらの、足駄〔あしだ〕といふものをはきて、いささかもつつみもなく、下りのぼるとて、なにともなき経の端〔はし〕うち誦〔よ〕み、倶舎〔くさ〕の頌〔ず〕〔『倶舎論』の詩句〕など誦〔ず〕しつつありくこそ、所につけてはをかしけれ。(120段、〔 〕内私の補
足)
更に、古典選集本文データベースというサイトで、倶舎で検索すると、他の古典にも名が挙がっている。例えば、藤原道長等の様子を伝える『栄華物語』には、
   倶舎を誦し唯識論をうかふ(p.90,l.9)
という個所があり、また、同じく、平安時代の歴史書『今鏡』にも、
   倶舎などさとくよませ給いて(p.51,l.9)
とある。『往生要集』の著者として知られる源信(942-1017)は、平安時代を代表する学僧の1人である。彼は、晩年、小乗仏教の書とされる『倶舎論』を大乗の立場から、再考するという趣旨の著書を著した。それだけ気になる存在であったのだろう。書名を『大乗対倶舎抄』という。これに関する研究はいくつかある。今は、袴谷憲昭「源信研究 第一部 『大乗対倶舎抄』の註釈的研究(1)」『駒澤短期大学仏教論集』8、2002、pp.23-44を挙げておく。


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