ヨーガとは
その6
次に登場する「ヴェーダンタ哲学」についても解説してみましょう。これは、ヴェーダンタ学派の思想を意味します。ヴェーダンタ学派も、インド正統派に属しますし、その代表格と言ってよいでしょう。インドの聖者で最も有名なシャンカラ(Sankara)は、ヴェーダンタの学僧です。かれの思想を、金倉(かなくら)円(えん)照(しょう)博士の解説で見て見ましょう。
現実に現れている世界そのものも、またマーヤー〔幻(まぼろし)〕とよばれる。かくの如きマーヤーは…絶対の立場からいえば真実には存在しない。…雑多(ざった)なる現象は…妄想(もうそう)の所産(しょさん)に他ならず、真の哲学的見地からすれば、梵(ぼん)〔ブラフマン〕の一元のみが実在であるとする。(金倉円照『インド哲学史』1979,p.167,ルビ・〔 〕私)
つまり、「この世界は幻で、実在しない。真に実在するのは、梵(ブラフマン)だけである」というわけです。サーンキャが実在を「霊我」と「原質」の2つとする二元論であるのに対し、ヴェーダンタは実在を「梵」の1つだけとする一元論であるということなのです。したがって、ヨーガの背景には、二元論と一元論があることになるわけです。今までの話は、い
わゆる 正統派インド思想に限定されています。では、正統派ではないものの、インド仏教ではヨーガをどう見ていたのでしょうか。立川博士は、こう指摘しています。
仏陀はインドが生んだもっとも初期の偉大なヨーガ行者なのである。(立川武蔵『ヨーガの哲学』1988,p.175)
仏教の開祖ブッダを「ヨーガ行者」と呼んでいます。さらに、博士は、以下のように言います。
仏陀が悟りをえたのも一種のヨーガによってである。彼はインドでももっとも古いヨーガ行者の一人なのだ。仏教にとり入れられたヨーガは、中国や日本にももたらされた。禅も一種のヨーガである。インド大陸でもヨーガの伝統は絶えることなくつづき、いまにいたっている。今日流行している「ヨガ」も、禅とは別のルートで新しくインドから入ってきたヨーガである。欧米でもヨーガは宗教実践あるいは身体の訓練法として、確固たる地位を獲得しはじめた。(立川武蔵『ヨーガの哲学』1988,p.18)
ここでは、禅もヨーガの1種と指摘されています。瞑想という点では、まったくその通リでしょう。