仏教余話

その180
このような指摘を考慮すれば、世親のことを「隠れサーンキャ」と呼びそうになるほどである。私の感触からすると、この見方は、ほぼ的中している気がするが、まだ、証明する段階にはない。これからの、ひょっとすると、来年度の研究テーマかもしれない。
 それはともかくとして、今西博士の漱石評は当たっているのだろうか?私は、魅力的な指摘だと思っているが、辛口の評価もある。中村元博士は、こう感想を漏らしている。
 『金七十論』はすでに徳川時代に学僧の熟読したものであった。また明治時代に井上哲次郎はサーンキヤ哲学をも講義していた。これらの事実を援用して、夏目漱石の『草枕』にはサーンキヤ哲学の背景が認められるという研究が発表されている。この見解に対しては軽々しく賛否の批評を述べることはできないが、わたくしには、歴史的に直接に影響することなしに、サーンキヤ哲学と夏目漱石とが類似した人生観を表明したことも可能であるし、またそのほうがもっと面白いと思う。人間の自己反省における相似た類型がインドと日本とで時期を異にして表明されたということになるからである。(中村元『中村元選集[決定版]第24巻ヨーガとサーンキヤの思想 インド六派哲学I』1996,p.505)
今西博士は、漱石に関する一連の著書の1つを中村博士に献じているのだから、このようなコメントをどう受け取ったか、は微妙な問題であろう。我々としては、漱石はきっかけの1つであり、真の狙いは、ヨーガ・サーンキャ思想、そして仏教思想などに触れること
であるのを忘れてはなるまい。それについて、本格的な議論に入る前に、もう1人、漱石とサーンキャ思想との関わりを取り上げた、宮元啓一博士の意見も、耳に入れておこう。まず、宮本博士は、簡潔にこう述べている。
 一校時代にサーンキヤ哲学の講義を聴いて深く感銘を憶えた夏目漱石は、無関心こと非人情をテーマにした実験的な小説『草枕』を著しました。そして、漱石が若すぎる晩年に理想とした境地は「即天私去」でした。これは天命に任せて非人情に徹するということでもあります。つまり、サーンキヤ哲学は、夏目漱石の人生のあこがれだったのです。(宮元啓一『インドの「二元論哲学」を読むーイーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』』2008,p.iv)
また、宮元博士は、別著で、宮沢賢治をも取り上げ、実に意味深な言い方をしてる。合わせて、引用しよう。
 夏目漱石に『草枕』という作品があります。一九○七年の作品です。この小説は、日露戦争で召集されて汽車で出発する元の夫を、元の妻が見送るというところで終わっています。一九○五年に日露戦争が終わりまして、それから間もなく『草枕』が書かれたのですが、この作品は、インド哲学に携わっている者には、大変に興味深いものです。夏目漱石は、一高、東大と進むのですが、一高時代にインド哲学の講義を受講しているのですね。熱心に聴講したそうです。とくにサーンキヤの二元論哲学における非人情、世界への究極の無関心、これに強く惹かれたといいます。これを小説に実験的に表現しようとしたのが『草枕』なんですね。この小説のテーマは、ずばり非人情なのです。…同じインド哲学系(仏教)でも、対照的なのが宮沢賢治です。…漱石と賢治は、一部は重なりますが、一見して、大部分が重ならないように見えます。漱石は哲学的な観想に幸福を求め、賢治は宗教実践として世界に積極的に関わるのですね。漱石の求める幸福への道と、賢治の求める幸福への道とは、このように、方向がかなり違うのです。方向は違う。しかし、よく見てください。同じインド哲学(仏教)を起点としていることから、漱石はいうまでもないとしても、賢治も実は、非人情を基礎にしているのですね。だからこそ、賢治は、〔雨ニモマケズの中で〕「慾ハナク/決シテ瞋ラズ」というように執着や喜怒哀楽の人情から離れることを理想として宣言し、他人からどういわれようともまったく気にしないことを願っているのです。それにしても、みなさんならどちらの道を選びますか。漱石が憧れたもの、それは、サーンキヤ哲学とその背後にあるゴータマ・ブッダの道であり、賢治が憧れたもの、それは大乗仏教の菩薩の道だったのです。菩薩も、究極的には絶対的な幸福を求める存在です。絶対的な幸福を求める道は、非人情は共通しても、違いはあるんですね。(宮元啓一『インド哲学の教室―哲学することの試み』2008,pp.176-182,〔 〕内私の補足)


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