新インド仏教史ー自己流ー
その4
では、シャカは何を悟ったのでしょう?それについては種々異論があります。平川氏は、こう述べています。
仏陀が成道において何を悟ったかは、大きな問題である。・・・四諦説(したいせつ)によって悟ったという説と、十二(じゅうに)因縁(いんねん)を悟ることによってブッダとなったという説と、四禅三(しぜんさん)明(みょう)によって悟ったという説が優勢である。・・・四諦説は他に対する説法の形になっており、成道内観(ないかん)の生の形と見るには難点があろう。つぎの十二因縁は、縁起説(えんぎせつ)の完成した形であり、他にもっと素朴(そぼく)な縁起説が説かれているため、原初の説と見るには難点がある。第三の四禅三明は、・・・比較的成立の新しい教説である。(平川彰『インド仏教史』上、1974年、p.40,ルビ私)平川氏は、代表的な3説を提示し、それぞれの欠陥を指摘しています。そして自身の考えを表明しています。
別の説では、仏陀は「法(ほう)を悟った」といわれる。・・・四諦も縁起も「法」である。この方がいかなる意味のものであるかは、原始仏教の教理の全体から考察して理解することができる。したがって仏陀の悟りの内容は、原始仏教の根本思想から推定しうると考えてよいであろう。即ち仏陀は「法」を悟ったのであり、その内容は原始仏教の全体から推知し得ると考える。(平川彰『インド仏教史』上、1974年、pp.40-41,ルビ私)
平川氏はシャカは法を悟ったとしています。法という言葉の原語はダルマです。極めて多様な意味を持つので、法と示されても厳密な内容はつかみにくい面があります。「正義」「規範」というのが、法の第1義です。「真理」という意味も持っています。ここではとりあえず「真理」と押さえておくのが無難でしょう。少し、シャカの悟りを考察する上でヒントになる研究を見ておきたいと思います。前に、他の師から仏教に改宗し、有力な弟子になった人物に触れました。舎利(しゃり)弗(ほつ)・目連(もくれん)の2人です。彼らの改宗について、こういう論文があります。
サーリプッタ〔=舎利弗〕とモッガラーナ〔=目連〕の加入によって仏教教団は大きく発展を遂げたので、二人の帰仏(きぶつ)の経緯は、各派の律文献や多くの仏伝の中で語られる。それら十数本にも及ぶ文献の内容をまとめると、大体次のような話になる。
サーリプッタ〔=舎利弗〕とモッガラーナ〔=目連〕は、青年期に一緒に出家して、懐疑(かいぎ)論者(ろんしゃ)サンジャヤの弟子になったが、彼の教義では不死を得られなかった。そんな時、サーリプッタは王舎(おうしゃ)城(じょう)の町でブッダの弟子アッサジに出会い、ブッダの説く縁起の教えの一節を聞き、直ちに最初の悟りを得る。サーリプッタは、その内容をモッガラーナに伝え、モッガラーナも最初の悟りを得る。そして二人はサンジャヤの弟子達を連れて、王舎城の竹林(ちくりん)園(えん)にいたブッダに帰依(きえ)し、仏教教団の比丘(びく)となった。(勝本華蓮「サーリプッタとモッガラーナの解脱」『パーリ学仏教文化学』11、1998、ルビ・〔 〕・下線私)
下線部で言われていることが本当だとすると、悟りの内容を縁起とする見方も有力です。縁起説について、並川孝儀氏は、概説書でこう述べています。
原始仏教において確立した思想の中で最も代表的な縁起(えんぎ)思想は、一般的に仏教の根本思想といわれる。初期経典の散文経典に「縁起を見る者は法を見る。法を見る者は縁起を見る」(『マッジマニカーヤ』第二十八経)という定型句(ていけいく)が見られ、縁起は「法(仏教の真理)」であると理解される。・・・さまざまな思想が教理化(きょうりか)され体系化が進んだ中での、こうした規定は、縁起こそ仏教の根本思想であるとの表明にほかならない。無常(むじょう)説や無我(むが)説など、ほとんどの思想は縁起説との関わりで解釈される。・・・しかし、これが、ゴータマ・ブッダの悟りの内容であったのかどうかは、確信できるほど簡単な問題ではない。・・・〔最初期の経典を見て〕、縁起説を概観(がいかん)したが、最初期の仏教においては縁起説は必ずしも特別視(とくべつし)された思想ではなかった。最古の経典「争闘(そうとう)」には縁起の理論は説かれていても、主題は当時の時代を反映した争いや、ねたみ・中傷(ちゅうしょう)といったもので〔後世、主題となる〕苦ではなかった。・・・縁起説を仏教の根本思想という場合、その根本の意味はゴータマ・ブッダを源泉(げんせん)として、それを信じ継承(けいしょう)した知性と感性に優れた弟子たちが構築(こうちく)し完成させた過程全体で捉(とら)えるべきものであろう。それによって、縁起説は他の宗教にない独自にして個性ある思想として仏教の根本思想たりえたのである。(並川孝儀「原始仏教の世界」『東アジア仏教史02インドII 仏教の形成と展開』平成22年、pp.106-114、ルビほぼ私、〔 〕私)
要するにシャカの悟りは、残された文献を基にして推測するしかないようです。取りあえず、縁起が有力候補であるとしておきましょう。縁起については、その重要性のゆえでしょうが、近代日本でも大論争を引き起こしました。そのあらましと特異な視点の縁起観を紹介しておきましょう。心理学者の湯浅(ゆあさ)康(やす)雄(お)氏は、述べています。
大正末年から昭和の初めごろ、宇井(うい)伯(はく)寿(じゅ)・和辻(わつじ)哲郎(てつろう)の両氏と木村(きむら)泰(たい)賢(けん)・赤沼(あかぬま)智(ち)善(ぜん)氏らの間で、縁起説の解釈をめぐっての論争が行われたことがある。私はインド学には素人(しろうと)であるが、和辻から倫理学を学んだ関係でこの論争のことも自然に知るようになった。要点をいうと、宇井・和辻説は十二因縁を論理的相関関係の説明であると解釈し、木村・赤沼説は時間的因果関係の説明であると解釈している(もっとも木村氏は、宇井・和辻説も一つの可能な解釈として認めている。)前者の説をとれば、十二因縁は「苦」という日常的経験のあり方を成立させる一種の論理的カテゴリーの表を意味し、身体の作用とは何の関係もないことになる。後者の説をとっても身体と十二因縁の関係はすぐに明らかになるわけではないが、何か考察の手がかりは得られそうである。そこで後者の説をもう少し調べてみると、「識(しき)」から「名色(みょうしき)」が生じるという段階の解釈で、「名色」とは胎児(たいじ)のことであるという説明にぶつかった。これにはいささかおどろいたが、仏教哲学と身体論の間には、何か謎めいた関係がありそうだと思われてきた。縁起説の学問的解釈は私の任ではないので、右の論争についての判定はおくことにするが、身体論の観点から十二因縁を説明するとすれば、どういうことになるのだろうか。…十二因縁を母胎における生命の発生や胎児の成長から説明するというのは、哲学的考察としては、あまりにもなまなましい感じがしないでもない。こういう解釈がゴータマ・ブッダの考えに由来するものかどうかは専門家の判断に委(ゆだ)ねる外はないが、少なくとも、仏教哲学の最初の体系化が行われたアビダルマ論の時代に、一つの可能な説明として行われていたということはたしかである。一見きわめて論理的で形式的な感じさえ受ける仏教哲学の背後に、そういうきわめてなまなましい生の感覚がひそんでいるところに、われわれが十分にとらえ得ないインド的思考様式の謎があるようにも思われる。(湯浅泰雄「仏教における身体論の諸問題」『現代思想 臨時増刊 総特集 インド文化圏への視点』1977,vol.5-14,pp.159-160、ルビ私)
シャカの悟りの内容云々という問題は、ここでは論じられていません。縁起説の最も完成したものとされる十二因縁が話題の中心です。目線、問題意識の相違と見ればよいのかもしれません。しかし、根底にあるのはシャカの悟りの解釈だろうと思います。湯浅氏の「一見きわめて論理的で形式的な感じさえ受ける仏教哲学の背後に、そういうきわめてなまなましい生の感覚がひそんでいるところに、われわれが十分にとらえ得ないインド的思考様式の謎があるようにも思われる」という指摘には、思想的・文献的アプローチだけでは探れないような面が見えて、面白いと思います。