新インド仏教史ー我流ー

その4
 さて、ヴェーダを経て、インドの思索は益々深まっていきます。ヴェーダを継ぐ文献としてウパニシャッドが登場します。概説書を引用してみましょう。
 古代ウパニシャッドには、ヴェーダの祭式主義がなお名残(なご)りをとどめているが、はっきりとその表面に浮かび出てくるのは、祭式主義を脱皮(だっぴ)して、宇宙の根源(こんげん)や人間の本質を主知(しゅち)主義的(しゅぎてき)に究(きわ)めようとする態度である。ウパニシャッドを転回点として、インド思想史上に新しい時代が開けてくる。表現はまだ理論的ではなく、神話的・直観的であるが、後代に学説化されるさまざまな思想の芽生えがそこには見られ、そして、宇宙原理ブラフマンと個体原理アートマンとの合一説(ごういつせつ)に至(いた)って、哲学的な深まりは極致(きょくち)に達する。(長尾雅人『世界の名著 1 バラモン教典・原始仏教』昭和54年、p.20,ルビほぼ私)
さらに詳しい説明があるので、引用してみましょう。
 ウパニシャッドは、「奥義書(おうぎしょ)」と訳されたり、「秘(ひ)教(きょう)」とよばれたりするが、その本来の意味は必ずしもはっきりしていない。語源的(ごげんてき)には「近く」upa-「坐る(すわる)」nisadという意味があり、弟子が師匠に「近坐(きんざ)」すること、こうして伝授(でんじゅ)される秘説、さらにその秘説を集録した文献を意味する、という解釈が一般に行われてきた。・・・「ウパニシャッド」の語源と同じく、「近く」「坐る」を意味する「ウパース」upa-asという動詞・・・この語はAをBとして「ウパース」する、というように用いられ〔る〕・・・祭儀(さいぎ)主義の時代には、神々はもはや古来(こらい)の高い位置を失い、それに代わって婆(ば)羅門(らもん)が絶対の権力をにぎっている。婆羅門は神を強要し、万象(ばんしょう)の背後にある地からを支配することができる。ウパースとは、このような支配力を発揮するために、事象に「近接する」ことにほかならない。AをBとしてウパースするというのは、Aに近接し、それを意のままに支配して、最高価値を持つBに同一化すること、すなわちAをBとみなす(・・・)ことによってそれを崇める(・・・)ことなのである。こうして祭式の諸契機(しょけいき)や人間の諸機能(しょきのう)が、大宇宙の神格(しんかく)や最高原理と対応させられ、神秘的に同一化された。・・・さてウパニシャッドの本質ともいうべき・・・神秘的同一化の基礎にあるのは、一方には先行する時代からの呪法の論理であり、他方には自然と人間とを等質的に対応させる思想である。(長尾雅人『世界の名著 1 バラモン教典・原始仏教』昭和54年、pp.20-21,ルビ私)
ヴェーダは呪術の論理を重んじ、そして、それに続くウパニシャッドでは呪術の論理はより明確化されたのです。基本的には、呪術から抜け出していないように見えます。この呪術的思考が、最高度に洗練されたのが、日本語で「梵(ぼん)我(が)一如(いちにょ)」と呼ばれます。「梵」とは宇宙の最高原理ブラフマン(brahman)のことです。「我」とは個人の魂に相当するアートマン(atman)のことを言います。A梵とB我を同置、同一視出来ればすべて可能になります。我は、自己の魂ですからコントロール出来ます。それが梵と同置されるなら、宇宙全体をもコントロール出来ることになります。呪術的思考の究極です。
 

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