日本人の宗教観ーある観点ー

その3
 さて、本筋に戻りましょう。再び、三崎氏の著作を見ることにしましょう。氏は、著名なる歌人、西行(さいぎょう)(1118-1190)を例に出して、次のように言いいます。
 平安時代から鎌倉時代にかけて、止観禅定(ぜんじょう)の修練(しゅうれん)のあげくに、折(おり)ふしの風月(ふうげつ)におのが在り方を顧(かえり)みて仏道(ぶつどう)を悟(さと)る、という美意識を陳(の)べた者が少なくなかった。そういう傾向を私は”止観的美意識”と假称(かしょう)して、その止観的美意識における”自然”という考え方を追求したい。そして今日の日本語にいう「自然(しぜん)」とは西欧のピュシスやナテゥーラという意味であるのに対して、私は、日本仏教における「じねん」という概念の重要性を喚起(かんき)したいと思う。(三崎本、p.72、ルビは私)
さらに、こう続けます。
 和歌の形で平安・鎌倉期の名僧・名匠(めいしょう)が歌い上げた悟りの心境において、対象的素材のように歌いこまれているいわゆる花鳥(かちょう)風月(ふうげつ)は、安易に「自然美」と呼ばれるべきものではない。例えば西行の、
  花の香(か)を連(つら)なる軒(のき)に吹かしめて悟(さと)れと風の散らすなりけり(山家集、九六○)
  野辺(のべ)の色も春のにほひもおしなべて心そめけるさとりにぞなる(同、一六三三)
 これらの「花」は、その色も匂も、言わば悟りを促(うなが)す主体の側であり、人は促される客体である。もちろんその中から人が悟りを汲みとるべきではあるけれども、花はたんなる悟りを寓意(ぐうい)する”縁”でしかないわけではない。花そのものが、その色と匂において悟りえており、もしも人が気づかなくても自得(じとく)していると言いうるほどの在り方をしている、と詠(よ)まれているのである。「風」もまた同じく、仏性(ぶっしょう)を具(そな)えたところの”発心(ほっしん)修行(しゅぎょう)成仏者(じょうぶつしゃ)”である。(三崎本、p.72、ルビは私)
歌人、西行の名は誰しもご存知でしょう。三崎氏は、彼の歌集から、歌を2首引用して、自説の根拠としています。最近は、古文の授業も少なく、和歌に触れる機会もまれだと思うので、簡単に解説しておきましょう。1首目は、「風が、花の香りを家の軒に運んできた。その香りを運んできた風は、無常を教えるように、花を吹き散らしている。まるで、無常を悟りなさいと言うように」という位の意味でしょう。2首目は、「野原に咲く花も、春の
匂いも、私の心を揺さぶる。本来、出家者は花にも匂いにも執着してはいけないのだが、かえって、花や匂いが執着を捨てる事を思い出させてくれる」大体、こういう意味だと思います。一見すると2首とも、悟りのきっかけを花や風が与えてくれたことを喜ぶ歌のように写ります。表現されているのは、そういうことで、それ以上踏み込んだ解釈には、戸(と)惑(まど)いを覚えます。しかし、三崎氏は、もう1歩踏み込んでいます。「自然にある花や風は、単なる対象物ではない。それ自身が、悟った存在である」と、三崎氏は言うのです。奇妙に感じますが、これが本覚思想の究極、徹底した現実肯定主義で、人間や動物・植物、風等の自然現象すべてを仏の世界にある平等なものとする思想なのです。三崎氏は、まとめとして次のように言います。
 あらゆるものに、あらゆる方向に仏を見出して拝むとは、偉大・崇高(すうこう)・精妙(せいみょう)等々の超人的なみごとさを賞揚(しょうよう)するだけではなくて、微小なもの、偶然的なもの、刹那的(せつなてき)なもの、虚妄(こもう)かと思われる程のもの等々の美的現出であっても、それを発見し感動し自他ともどもの真の生き方に資するものとして啓発(けいはつ)されたからである。天台本覚論は教学上の理論であるが、その理論が人々を教導するとは、美的感性を磨(みが)きつつ生きていくつか人々に対しては、法(ほう)爾(に)自然(じねん)を開眼(かいがん)させることであろう。それは単なる自然(しぜん)への帰依(きえ)ではない。天台止観の鍛錬によって本来の生きどころに達しえた者の、美的意義を自覚する立場である。(三崎本、pp.85-86、ルビは私)
難解な言い回しではありますが、日本の芸術美と本覚思想との深いつながりを説いていることは理解出来ます。端的に言えば、すべてを仏の世界と感ずる修行こそが本覚の止観行であり、それが美の創出に直結するということでしょう。分かりやすくするために、現代のある画家の言葉を引用してみましょう。
 結局、どう云(い)ふ作品が生まれるかは、どう云ふ生きかたをするかにかかっている。どう生きるのか、の指針(ししん)を描くことを通して模索(もさく)したい。どう生きるのか、と、どう描くのかの終わりのない思考のいたちごっこが私の生活の骨組(ほねぐみ)なのだ。(神田日勝記念美術館、パンフレットから、ルビは私)
これは、神田(かんだ)日(にっ)勝(しょう)(1937-1970)という画家の言葉です。彼は、北海道、帯広市(おびひろし)の近く、鹿追(しかおい)という村で、画業と農業に励みましたが、32歳という若さで亡くなります。ここには、中世日本に生き、自らの芸術を仏教を通じて、見つめていたアーティスト達を思い浮かばせてくれるような響きがあります。同じような真摯(しんし)な求道(ぐどう)精神を持っていたと想像出来ます。以降、より具体的に本覚思想と日本の文化を探っていきましょう。

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