見出し画像

ポスト・マン

 山鼻町2丁目のポストに惹かれ始めてから、もう1カ月が経った。初めはお互い意識していなかったけれど、通学中に通り過ぎるたびになんとなく挨拶するようになって、会釈するようになって、今日は久々に小学校の頃の友人への手紙です、なんて言い合っているうちに、今度じっくりお話しできませんか、と言われた。私は当然のことながら舞い上がった。


「じゃあ、今度ちゃんと手紙を出します」と私は初々しく返事をした。ポストさんは「待っています」とだけ言った。ああ、私にもようやく春が来たみたいだった。


 私には男が何人かいたが、食事して寝るだけの関係だった。そんなわけで、ポストさんに服装を褒められたり、髪型の微妙な変化に気付いてくれたりしたときは、すごく心が弾んだものだ。
 私は自分で言うのもなんだが、とてもモテる。美人と言える部類だとも思う。けれど気づけば、周りには私の表面上しか見てくれない男しかいなかった。そんなわけで、彼の初々しくも私を見てくれている発言にすっかり魅了されてしまった。
 私は早速大学の帰りにロフトに行き、ピアノが描かれている上品な便せんを買い、そこにありったけの思いをぶつけてみた。いかんせん書きすぎたようで、気づけば深夜になっていた。
 
 次の日、私はさっそく彼の所に行って思いを届けた。誰にも見られていないことを確認し、
「ねえ、あげる」と言って私から彼に手紙を投函した。正直言ってかなりぞくぞくした。中学生に戻ったような気分だ。初めて「した」ときドキドキがそこにはあった。彼の方は予想外の展開に「えっ」と声を上げたが、やがて少しとろんとして、そのままじっくり手紙を舐めまわし、咀嚼した。私たちは長い間ずっとそこで溶け合っていた。
 「ねえ、どう?」数秒の出来事だったのかもしれないし、1分くらい経ったのかもしれない、わからないが、私は恥ずかしながらも目を開けて彼に聞いた。ああ、でも彼を直視することはできない。私は俯きがちに彼に聞く。
「こっち見て」と彼は言った。私は頑張って彼の方を見た。
「ねえ、これはなんていう題名なの?」と彼は聞いた。


「『愛したいから愛す』」

私は恥ずかしくなりながらも答えた。昨日、深夜の勢いで書き上げた文章だが、今思い返すと妙に恥ずかしくなってくる。
「すごくストレートな文章だった」と彼は言った。
「君がどんな過去を持っていても」と彼は続ける。
「僕は君を愛しているし、愛したい」
「私も」
 私はもう一度鞄の中を弄り、紙を探し、「好き」と書いて彼に投かんした。彼は突然体が大きく柔らかくなり、まるで巨大な風船のように私を包み込んだ。私の足は浮き、ふわふわした彼の体に全身を預けていた。
「どんな感情も受け止めたい」と彼は囁いた。その声は彼の体の中で反響した。


 私は彼の中にいた。
 暖かくて、ちょっとだけびりびりして、でも安心する。ああ、これが「仕合わせ」というものなのか。
 私は彼から注がれる膨大な量の手紙とその中の文字の渦に飲み込まれた。
「ああ、はあ」
 思わず声が出る。あまりの刺激に身体がふわふわして変になっていく。自分の体が自分じゃないみたい。足の感覚が無い。手の力も入らない。
「ああ、無理……」
 それでも彼は私に手紙を浴びせ続けた。私はそれを受け止めた。
「ああ、もう無理、無理。限界」
 そんな私の言葉を無視して、彼は小包に入って切り分けられた海を私に注ぐ。
「ねえ、もう無理だよ……」
「嫌なきもち?」
「ううん、でもおかしくなりそうなの」
「きもちいい?」
「……ん……」
 彼は海をまた私に注いだ。この世にはあらゆる人が誰かに海を渡そうとしている。それはとても美しいことだと思う。

 彼の周りの外には、マスクをつけた顔のない男たちがうろうろしている。きっと私を探しているのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?