【書評】君はこの事件の本質を知っているか? 『リクルート事件・江副浩正の真実 - 江副浩正』
司法の結論は既に下されている。
「ジャパンアズナンバーワン」と言われた時期があった。
昭和から平成に変わる時代、日本は熱狂の渦中を過ごし、その中心となった東京は昼夜問わず喧騒に包まれた日々だったのだろうと思われる。
ビジネスの世界では、松下幸之助や盛田昭夫、稲盛和夫といった偉人たちが才覚を発揮し、日本の新たなメジャーとして経済を牽引している中で、闇に埋もれた天才がいた。日本を世界的にリードする企業・リクルートの創業者 江副浩正氏である。
戦争特需の時代に一人の東大生が起業し売上高1兆円の企業を作りだした。
戦後10年が経ち、戦争特需と呼ばれる経済復興の契機に日本が直面していた時期に、江副氏は広告に目をつけ、東京大学在学中に起業をしていた。
そして、日本経済が右肩上がりに推移するのと時を同じくして、約30年の時を経て、リクルート社は、売上高1兆円の企業に至るまでに成長していたのである。
その中心にいた江副氏は、50代に入り、円熟期を迎えた最中にその時を迎えることになったのだ。
政治家へ未公開上場株を贈与したことが”賄賂”という司法判断を受けた。
稀代の贈り物好きとして自他共に認める江副氏のプレゼントぶりには、誰もが驚いたそうである。
リクルート社は、1980年代の時点で既に日本の最前線で活躍する企業の一つだった。そのトップに立つ江副氏の交流ぶりは、経済界だけにとどまることなく、政界へのつながりも深いものだったと言われている。
その一つに政治献金というかたちで積極支援が行われていたのだが、リクルートコスモスという子会社の未公開株を贈与したことが、当時の与党政治家を巻込む一大スキャンダルとして袋叩きに合う結果となってしまったのだ。
昭和から平成へ。そして令和につながる意志。
リクルート事件は、様々な角度で語り継がれている。
バブル時代を経て、経済不況の平成の中で、リクルート事件の裁判は10数年におよび行われた。その判断は、ご覧の通りではあるが、江副氏ならびにリクルートという会社が成長を続ける過程で関わった人々に注目したい。
同社の制度を見ても特徴的なように起業を積極的に推進し、優秀な人間に金をかけ採用する姿勢、女性の活躍をいちいち意識せずに活躍できる風土など、その個性は際立っている。
また、江副氏の創業者株を手放す際に預けるきっかけとなったダイエーのオーナー中内氏やその後、ダイエーホークスを引き継ぐ、孫正義氏への人の連鎖といったつながりは目を見張るものがある。
NewsPicksでも、(江副氏に対面することが叶わなかった)堀江貴文氏が取り上げる特集記事を見るほどに、江副氏という存在が日本社会に与えた影響は大きく、僕らが学ぶべきことは沢山あるだろう。
『リクルート事件・江副浩正の真実 - 江副浩正』
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