見出し画像

【書評】錯覚のワナ 『知ってるつもり--無知の科学 - スティーブン・スローマン&フィリップ・ファーンバック』

画像1

僕たちの脳は無知であり、錯覚を起こしやすく出来ている
知っている"つもり"
あるある過ぎて、逆に無自覚になっていたりしていないだろうか?
ヒトの脳は”忘れる”という機能を持っており、万一忘れることが出来ない脳機能になった場合、著しい負担を強いられることになる。
日常の生活において、知っている"つもり"で判断することが多くの場合で直面する理由として、一つ一つの要素や原因を突き詰めて行った場合、僕たちが説明出来ないことが多いのである。
例えば、なぜ水道の配管の仕組みを知っている人はどれだけいるのだろうか?
普段あたりまえのように利用する水道ひとつ取ってみても、一歩踏み込んでしまえば、「それは専門じゃないから分からないよ」で済ませてしまっているかと思う。
しかし、世の中のものごとはその様な出来事で蔓延しているということを理解する必要があるのだ。

「思考」とは一体なんの為にあるのか?
「思考」は有益な「行動」を取るための手段として進化している。
考えるという行為は、ときに有益な状況を生み出し、あるときには無為な時間を浪費することは体感として誰しもが持っているのではないだろうか?
僕らがたった一人で思考しても限界が。
一人の思考から出る発想や行動には間違いも当然含まれており、地理条件や時代背景、コミュニティに所属して生きていく中で、たった一人の人生経験で達成出来ることは、人類にとって得る影響としては極めて僅かなフィードバックだ。
優れた知識はコミュニティの中から生まれる。
知識は僕らが作るモノ、身体や労働環境、そして他の人々の中にある。
技術や知識を共有することで目標を達成することが出来、進化する。
人類の歴史は、情報のシェアをし続けることで発展してきているということを踏まえれば根源的なことではないだろうか。
シェア出来ない一方通行のメディア情報を浴びていたら、偏った思想や見方が生まれ、二極化が進んでしまうという危機感を持つ必要がある。

なぜ間違った考えを抱くのか?
僕らには因果推論する能力が備わっている。

なぜあの人は、朝にスーツを着て、電車に乗っているのだろうか?
なぜあの人は、大急ぎでトイレに駆け込んでいるのだろうか?
なぜあの人は、人前に立って話すとき、極度に緊張して話すのだろうか?

これらの状況に直面した場合、視覚情報や自身の経験、文化や慣習から推論し、結論に導くことが出来ているのではないだろうか。
しかし、僕らは錯覚し、間違えた思考をしがちでもある。
必要十分条件という言葉を聞いたことがある方も多いと思うが、ある条件において、「必要」な要素を満たしているからといって正しいわけではない。
外側から見た情報が「必要条件」を満たしていても、内側から見た場合、実は別の理由が存在していた、ということは往々にしてあるのだ。

テクノロジーがきっかけとなり、生まれる知の創造
既に僕らの世界にはAIによって、思考判断がかなりの部分でアシストを受ける環境が存在している。
例えば、ウェブ広告はAI技術が早くから取り入れられており、ヒトの行動をデータにもとづいて分析し、嗜好やきっかけとなる判断に影響を与えている。
また、クラウドソーシングのような仕事のかたちも注目すべきである。
会社組織と人間関係は、ある意味で村社会のようなものであり、封建的である。
オンラインサロンのような「知識の共有」やクラウドソーシングのような「主体的な労働関係」が今後さらに発達し、AIによるテクノロジーのアシストによって僕らの「思考」は次の段階に入るのではないかとワクワクしている。

『知ってるつもり--無知の科学 - スティーブン・スローマン&フィリップ・ファーンバック』



このマガジンは、堀江貴文イノベーション大学校(HIU)の会員による、ホリエモン万博およびホリエモン祭の活動をお伝えします。