
「その街のこども」と震災のこと
阪神淡路大震災から30年、震災のことを書き留めておきたい気持ちがあるのに何から書いていいかわからず、さっきから書いたり消したりを繰り返している。私は高校1年のときに神戸市須磨区の実家で震災を経験したのだけど、家が壊れたり身内を亡くしたりしたわけでもないので「経験した」と書いてもいいのかすら悩む。この感覚が震災から15年後に「その街のこども」で見事に描かれていて、このなんとも言えなさが完璧に映像化されていて、震えるほど共感しかなかった。
地震の揺れは本当に大きくてドンッ!!という衝撃で飛び起きたけど、幸いうちの地域は地盤が硬いらしく、戸棚のものがいくつか落ちた程度ですぐに水やガスも使えた。揺れたと同時に、父、母、兄が一斉に私の部屋に駆けつけて私の上に覆い被さって守ってくれたことは今でも忘れられない。
うちはそんな感じだったから、その日もいつも通り高校に登校するつもりで制服に着替えていると、テレビでは長田区のほうで大規模火災が発生しているとの報道。その時点ではまだ、これはもしかして学校休みかもラッキーみたいな気持ちが先立った。しかし長田区には祖父母の家があった。報道を見た兄がすぐさまバイクで様子を見に行くと家が全壊して祖父母が埋まっており、兄が2人を救出して幸い命に別状はなかった。それから祖父母が数ヶ月うちに住むことになったのだけど、当時思春期真っ只中のJKだった私は、大変な目にあって急に同居することになった祖父母に対してもなんとなく優しくできなかったことを今でもとても後悔している。
しばらくして高校に登校できるようになり久しぶりに友人たちと顔を合わせたが私の周りの友人たちはみんな変わらず元気だったし、すぐに日常に戻った。学校での話題でも特に地震で大変だったという話をするわけでもなく、うちの高校の名物行事だった「六甲山全山縦走」が地震の影響で中止になったことを喜んだりもした。
最近になって、高校の同級生が話してくれた当時の経験談がとても興味深かったのだけど、実はその子は家が全壊していて、半年ほど地元の体育館で避難生活をしていたと(ぜんぜん知らなかった!)。だけど、実際にはその生活は楽しい思い出として記憶されていて、なぜなら体育館では友達もみんな避難してたから毎日友達と遊べたし、ボランティアの炊き出しは美味しくて、自衛隊のお風呂も大浴場みたいですごく気持ちよかったらしい。
毎年1月17日が近づくと震災の記憶を辿る特集番組が放送されるけど、「大変な人もたくさんいたからあまり言えなかったんだけど…」と話してくれたこの友人のエピソードも、当時の被災した高校生のとてもリアルな感覚の証言だと思う。
かなり大人になるまで神戸出身だと言うと「地震大変だったね」と声をかけられることが多々あって、その度に「私は大丈夫だったんですけど」と言いつつも、何か大変な経験をしたエピソードを話さないといけないんじゃないかと毎回気を揉んだ。それでもあのとんでもない揺れの恐怖はトラウマでもあり、「たいした経験もしてない」と思われるのもなんか不愉快だったりもして。なにより、大勢の人が亡くなって神戸の街が悲惨な惨状だったことが記憶の全体にいつまでも覆い被さっていて、普通の日常を過ごす中でもふと「こんなに楽しんでていいのかな」と思ってしまうあの感覚。それが「その街のこども」で絶妙に描かれていているのだけど、それはあくまでも共感であり、単にこの気持ちを代弁してくれてスッキリしたというものでもなく、観たあともこの宙ぶらりんのなんとも言えない感覚は残ったままだ。ずっとこの微妙な感覚を持って生きていくんだろうと、最後までそういう描き方がされているところも本当に素晴らしい作品。震災を経験した人こそ観るべき作品だと思う。