曽祖父、カリフォルニアで農業を営む
明治時代にアメリカへ渡った日本人移民の多くは、農業労働者として働いていました。彼らは渡米当初は小作人として低賃金で労働していましたが、やがて土地を借りて農業を営む人が出てくるようになります。曽祖父・保次郎もそのパターンだったようで、祖母(保次郎の長女)の子供時代にはカリフォルニア州のストックトン(Stockton)かオーウッド(Orwood)の辺りに農場を持ち、人も雇っていました。
これは農場の写真です。表には「September 7th,1910」、裏には「吾等の状態 其の一、 前列左より四番が寅次郎次兄さん 次が僕です(黒き帽子を被りて)」と書かれています。
生前の祖母に聞いた話によると、保次郎の農場では日本人だけでなくメキシコ人やフィリピン人など、いろいろな人種の人々が働いていたそうです。下の写真手前に見える袋の中身はじゃがいもだそうです。
最近になって伯母(保次郎の孫)から「保次郎はもともと医者になりたかった。それでアメリカ(まずハワイ)に渡って働いていたけど、結局労働者として擦り切れるだけなのがバカバカしくなって、農場をやるようになった」という話を聞きました。とはいえ労働者から脱出できない日本人もたくさんいたでしょうから、ものすごい向上心だと思います。
しかし保次郎の農場は、自分の所有地ではなく借地でした。
カリフォルニア州では、祖母の生まれる前年の1913年(大正2年)に外国人の土地所有を禁止する「外国人土地法」(排日土地法)が成立しており、市民権を持たない日本人移民は土地の所有を禁止されてしまいました。保次郎も農場を買うことはできなかった、と祖母も話していました。
前回紹介した農場のリース契約書は、こういう背景があって交わされたものということになります。
【参考文献】
『一世としてアメリカに生きて』(北村崇朗著、草書房)
『アメリカの日系人』(黒川省三著、教育社)
『アメリカ西部開拓と日本人』(鶴谷寿著、NHKブックス)
『外国人をめぐる社会史 近代アメリカと日本人移民』(粂井輝子著、雄山閣)
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