ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜55 『小さき者たち』
私が初めて《小さき者たち》を見たのは、就職して南にある大都市に住むようになってからだった。北国出身である私は、それまで《小さき者たち》を見たことがなかった。
なので私にとって《小さき者たち》は、物語の登場人物同様、架空の存在で、ファンタジーの世界の住人でしかなかった。
はじめて見た時も、少し驚きはしたが、みなが言うように嫌悪や恐怖を感じることはなかった。あれはたしか梅雨が明けて、本格的に夏が到来した頃だった。
私の家に一人の《小さき者》が現れた。
夜に帰宅し、台所へ行き、水を飲もうとした時、シンクを駆けて行く者があった。注意してよく見てみると、それがどうやら噂に聞く《小さき者》であるようだった。
「わっ」と私が驚いて声を出すと、《小さき者》も身体をビクッとさせて私を見上げた。
私は体長5ミリほどのその《小さき者》をもっと仔細に観察しようと居間へ行きルーペを探して戻ってみると、《小さき者》はいなくなっていた。
翌日、私は会社の同僚にその話をした。
「ああ、出たか。そういう季節だな。で、倒したのか?」
「いや」
「あいつらは一人いると、百人はいると思ったほうがいいぞ」
「そんなに?」
「ああ、スプレーとか、毒餌を設置しとくといいよ。特に水回り」
しかし、私は無闇な殺生に気が引け、そのままなにも対策をしなかった。すると夏の間に我が家の《小さき者》はみるみる数を増していった。彼らは私の挙動にびくびくして、こちらになんら危害を与える様子もないため、私は放っておいた。おかげで彼らの生態をじっくり観察することが出来た。
《小さき者たち》は、様々な色や形の布地をまとっている。それがなんのためなのかは分からない。私は毎晩《小さき者たち》が交尾をしている所を目撃したのだが、その時彼らは布地を脱ぎ捨てていた。あるいはこの布地は彼らの生殖行動になにか意味があるのかもしれない。甲殻類が交尾をする前に脱皮をするように。私は交尾を終えたばかりの《小さき者》を一人摘み上げ布地を脱ぎ捨てた時の様子をルーペで観察した。
性別はどちらか分からない。目は正面に二つあるばかりで、視野はせいぜい180度といったところだろう。触角はない。耳は顔のわきに正面を向いて付いている。頭の先は毛に覆われている。毛の量や長さには個体差があるようだ。二本の足で直立して歩行するため、動きは極めて遅い。壁を這うことも出来ない。上の方に付いている足は歩行には使われず物を持ったりする時に使われていた。全身は柔らかな皮に包まれている。たしかにおぞましい姿をしていた。
《小さき者たち》が百人ほどになった頃、彼らは夜な夜な集い、騒ぎ立てるようになっていった。見るとなにか液体を摂取し、摂取すればするほど騒ぎ、ふらふらになったり、中には、普段は警戒している私に近づき、妙な鳴き声を発しながら私の身体に登ってくる者があった。払い除けるとすぐに飛んでいった。判断力や身体機能を損なう液体を彼らがなぜ摂取するのか、私にはまるで分からなかった。
道具を用いて音を鳴らす者もいた。それを聞きながら、周りの者たちはみな身体をくねくねさせ、首をゆさゆさするなどしていた。
喧しさを除けば、それは極めて平和な日々だった。
やがて千人を超えた頃様相は一変する。《小さき者たち》はいくつかの集団に分かれて暮らすようになっていた。集団はそれぞれ自分たちの縄張りに関して他の集団と揉めるようになり、そして私は彼らのもっともおぞましい生態を目撃した。
集団同士で殺し合いを始めたのだった。
何が始まったのか私には理解できなかった。私の家の台所は《小さき者たち》の亡骸で溢れていった。彼らは一週間戦い続けた。争いが終わると、複数の集団は一つに統合され、再び一緒に暮らすようになった。争いに勝った集団の長だろうか、一人の《小さき者》が大勢の群衆を率いるようになった。
長は群衆から尊敬され、衆望に応えていたのだが、その内に長であることをいいことに、横暴を繰り返すようになり、人々の間には不満が募っていった。
はたから見ても長とその取り巻きたちは群衆に比べ大変良い生活をしているのが分かった。
貧しき人々が目をつけたのは私という存在であった。
彼らは、私を、この世界を創り上げた最も偉大で何よりも尊い存在として祭り上げていた。私こそがこの世をより良いものにしてくれる存在なのだと信じ、私の姿を模した像を作ったり、節をつけた鳴き声で私を讃えたりして、崇めはじめた。
それを面白く思わないのは、長の一派で、彼らは私を、この世に破壊と災厄をもたらす邪悪な存在として忌み嫌っていた。長にしてみれば、自分よりも偉大な存在があってはならず、私を崇拝する一派を次々に迫害していき、またもや争いがはじまった。
そうこうするうちにいよいよ、長の一派が私に対し直接的な行動を仕掛けてきた。私という存在をないものにしようとしてきたのだ。
私が眠っている時に、足や背中がチクチクして目を覚ますと大勢の《小さき者たち》が殴りかかったり、棒で刺し、私を討伐しようとしていた。
私を崇め奉る一派が、長どもの進軍を食い止めるべく立ちはだかっており、私の寝床には戦で散った《小さき者たち》が死屍累々、山のように横たわっていた。
すっげーむかつく。と私は思った。おめーらどっちもバッカじゃねーの? 今までそういうことしてこないから放っておいてやったのに、なにしてんの? ナメてんの?
私は起き上がりコンビニに行き、殺人スプレーを買ってきて部屋中に散布しまくった。
《小さき者たち》を駆逐した数日後の夜のことだ。
夏の間に知り合ったある女が私の家に来た。
「ねえ、ここ《小さき者たち》出ないわよね?」
「出ないよ」と私は答えた。少し前までここに数千人の《小さき者たち》がいたなどと私は決して口にしなかった。
「よかった。わたしアレだけはホント無理」
「ああ、分かるよ」
それから我々は互いの触角をゆっくり絡み合わせた。女の触角は柔らかく、いい香りがした。私は彼女を寝床へ連れて行く。大勢の《小さき者たち》が命を落としたあの寝床で、私は女を抱いた。
夏が終わる前に、彼女は私の子供を15匹産んだ。
あれ以来、私の家には《小さき者》は一人も現れていない。
数人ならば特に害はないが、増えれば増えるほど、やつらは思い上がりとんでもないことをしてくる。もしも、あなたの家に《小さき者》が出たならば、数が増えない内に、早めに対処することをおすすめしておこう。
・曲 Louis Armstrong / What A Wonderful World
SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は7月18日放送回の朗読原稿です。
この話を書くにあたってGの生態について調べようと思ったのですが、Googleの検索結果に画像がばーっと表示されるので、薄目で乗り越えました。
しかしなぜ、我々は彼らにこうも嫌悪を抱くのか。
これは日本人特有の感覚なのだろうか、と思っていたのですが、アメリカ人の知人もGの話をすると顔を顰めていたし、最近文庫化し注目されているガルシア=マルケスの『百年の孤独』の中でも「あいつらどうしたら出てこなくなるんだろうな」って会話があった記憶があります。わりと人類共通の感覚なのだろうか。
朗読動画も公開しております。どうぞよろしく。