ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜64 『今日も地球のどこかで』
二〇二四年十一月十四日木曜日、午後十時三十分。
自身のラジオ番組「Dream Night」の放送を間近に控えた東別府夢は、夕方にある男に言われた言葉が、真っ白いシャツにこぼしたミートソースのシミみたいに、いつまでも頭から離れなかった。それは彼女と親密な関係にある男が言った言葉である。最初は傷ついた彼女であったが、ひと通り悲しんだあと、悲しみを凌駕して猛烈な怒りが湧いてきた。なんであいつにあんなこと言われなくちゃならんのだ、ふざけんな。と思った。このまま番組が始まれば不機嫌さが電波にも乗ってしまい、不穏な雰囲気の放送になってしまうだろう。それに今夜は番組放送二百回の記念回なのだ。よりによってこんな大切な日を台無しにされるなんて、あんな男を少しでも良いと思った自分が許せなく、その辺にあったクッションに拳を何度も叩きつけた。それから彼女は今夜の放送の告知をまだしていないことに気づき、Xを開いた。
そしてその頃……
産婦人科の病棟に元気な赤ん坊の泣き声が響き渡った。長年不妊治療に取り組み、共に四十代に差し掛かる今、これが最後の機会と思っていた二人の間に生まれた子供であった。母子共に健康。夫妻は涙を流して喜び、神に感謝した。
東別府夢がクッションを叩いている時、新たな命が誕生した。
そしてその頃……
ある男がXを開くと、ちょうど東別府夢のポストが目に入った。
「こんばんは木曜日です!今夜のDream Nightはなんと200回目の放送です👏この後23時からこちらよりjcbasimul.com/skywavefm 是非お聴きください!🙋♀️」
「金魚鉢」というアカウントを持つ彼はそのポストにいいねをつけて、「㊗️200回 今夜も楽しみにしています🥰」と返信を投稿した。
それから彼は今月の残りの週末の観劇予定を検討した。今月は「劇団 演劇的ハラスメント」、通称エンハラの新作も上演されるので、彼はそれを一番楽しみにしていた。
そうこうする内に23時になった。記念すべき200回目にDream Nightのパーソナリティが発した第一声は「バカヤローーー!」であった。ただならぬ雰囲気を感じ取った金魚鉢はXを開き「あれ、夢さんどうしたんだろ😅」と投稿した。
そしてその頃……
森の中の洋館に七人の男女がいた。
「花田くん、それはいったいどういうことなんだ?」と一人の男が言った。
「いいですか、刑事さん。彼はあの時、まだ生きていたのです」と花田は言った。
「なんだって? ということは……」
「ええ、そうなると、この中にアリバイの崩れる人物がいる」花田はある人物を指差して言った。「由美子さん、犯人はあなただ!」
由美子は泣き崩れる。
東別府夢が叫んだ頃、痴情のもつれから起こった事件を私立探偵花田優作が見事解決した。
そしてその頃……
なんとか番組は進行し「東別府夢調査隊」に差し掛かった。紹介するのは、新発売アーバンマアムというクッキーで、それは件の男が教えてくれたお菓子だった。頬張った瞬間、口の中になんとも言えない美味しさが広がったが、東別府の感想は以下のようになった。
「あーないないないないない、もーぜーったいない、ありえない! なにがアーバンマアムだ、都会の孤独だよこんなもの!」
ラジオを聞いていたダイテツという男はXを開き「夢ちゃんなにかあったのかな🤔」と感想を投稿した。それから彼は先日自分もアーバンマアムを買っていたことを思い出して、戸棚から取り出し食べてみた。それはとても美味しいクッキーであった。
そしてその頃……
東別府夢がクッキーを頬張る度に、世界のあちこちでカップルが結婚し、頬張ったクッキーを飲み込む度に世界のあちこちで夫婦が離婚した。
彼女がクッキーを食べている間に、累計で五百八十七組のカップルが永遠の愛を誓い合い、百五十九組の夫婦がかつて誓い合った永遠の愛を葬った。
そしてその頃……
Dream NightではFlower Flowerの「夢」が流れていた。残すは「木曜日の恋人」という朗読コーナーのみである。ラジオを聞いている人たちは、この記念回にどのような物語が朗読されるのか、胸を躍らせた。オンエア中の楽曲にあった「誰かのせいにはしちゃダメだよ」という歌詞を聞き、東別府は自分の頬をぺしぺしと叩き自らを鼓舞した。朗読はちゃんとやらないと。これを書いてくれた阿部さんに顔向けできない。と気を引き締め、朗読を開始した。
そしてその頃……
朗読原稿の作者である阿部敬史は、ラジオを聞いておらず、新宿のバーで女を口説いていた。彼は十二年物のグレンファークラスが入ったグラスを手に女に言う。
「俺はさっきまで、君のことを完璧な女だと思っていた。でも違ったみたいだ。君にはとんでもない、すべてを台無しにする欠点がある」
グラスの中の氷がカランと音を立てた。
「あら、なんですそれは?」と女は煙草の煙を吐き出して言った。
「俺に惚れないって所だよ」
女はくすりと笑って、マティーニに浮かんだオリーブを摘み上げ齧った。
「わたしね、阿部さんのこと好きですよ。でも。わたしは、わたしがいなくちゃ生きていかれないような、ちょっと可哀想な人に惚れちゃうみたい。たしかにそれはわたしの欠点かもね」そう言って女はまた笑った。
「君は誤解している。君に会えない夜、俺がどんな気持ちで過ごしているのか、君は知らないだろ」それから阿部は彼女の手に触れた。「なあ、いいだろ?」
「だーめ」と言って女は手を引っ込めた。
二人の間に生じた沈黙を、ソニー・ロリンズのサキソフォンの音色が埋めていった。
そしてその頃……
番組が終わり東別府夢は、感情をあらわにして放送したことを反省していた。
けれども、リスナーから寄せられた祝福のメッセージを読んでいたら、夕方から続いた不機嫌な思いはようやく鎮まり、また201回目も頑張ろう、と彼女はとても清々しい気持ちになっていた。なによりこうして二百回もなにかを続けられたことを誇りに思った。
そしてその頃……
200回目のDream Nightが放送された一時間の間に、地球上で一万五千三百六十三人がこの世にやって来て、六千二百九十一人がこの世を去った。
どこか遠くの地で空が赤く燃えていた。一方で晴れ渡る綺麗な青空があった。飢えている者がいて、満たされている者がいた。愛する者、憎む者、笑っている者、泣いている者、色んな人々を乗っけて地球はぐるぐる回っていた。人々の、じつに様々な感情を、その遠心力でごちゃまぜにして地球は回っていた。
生きていれば色々あるものだ。老いも若きも男も女も、みな明日からまた張り切ってぐるぐる回ろうではないか。地球が回り続ける限り。
SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は11月14日放送回の朗読原稿です。
今夜のDream Nightは放送200回目ということで、お祝いのショートストーリーを書きました。すごいですねえ、200回。
これからも応援しています。
朗読動画も公開中です。よろしくお願いします。