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スペシャリストとは、何か

こんにちは。宮崎でウェブアクセシビリティスペシャリスト兼コーダーをしているあべりです。
今日はウェブアクセシビリティスペシャリストを自称することになった経緯と、その重い肩書きを背負うことで何を目指すのかを書きたいと思います。
この記事はアクセシビリティカンファレンス福岡のテーマ「つぎはどうする」に合わせて書きました。


サポーターからスペシャリストへ

私は今年からウェブアクセシビリティサポーターを名乗っていました。
経緯は「肩書きを作って名乗った話」に書きましたので、ご興味がありましたらご覧ください。

2024年のアクセシビリティカンファレンス福岡の打ち上げである人とお話をしていた(ほぼ自分語りを聞いてもらっていた)時に、今年からウェブアクセシビリティサポーターを名乗り始めたと言う話をしました。
その際に「さすがにアクセシビリティスペシャリストは名乗れないので」と言ったところ「名乗っていいと思うけどね」と言われました。
高いハードルをなんとか超えたほうが成長できるし、と。
私の尊敬する人たちは口を揃えて「できると言え、言ったからにはやれ」って言うなぁと思いながら聞いてたんですが、私は今この勢いに乗らないと一生スペシャリストを自分から名乗ることはできないだろうなと思って。
その場の勢いですぐにXのプロフィールを「アクセシビリティスペシャリスト」に変更しました。
さらに「私今日からアクセシビリティスペシャリストになりました!」って宣言しまくりました。

ただ、私は会社に所属していないので、アクセシビリティスペシャリストを名乗ると全てにおいてのアクセシビリティに対するスペシャリストになってしまうのでは!?と数日経ってから思いまして。そこで肩書きをウェブアクセシビリティスペシャリストに変えました。

後日「できると言え、言ったならやれ」タイプの恩師から「まぁ他人事だからね」とサラッと言われまして、あなたも散々私に「できるって言え」って言ってきたじゃない!?とは思ったけれど。
いいんですよ。別に。それでも決めたのは私だから。

名乗る必要はあるのか

皆さんご存知の通り、世の中にはアクセシビリティに日々向き合っているデザイナー、エンジニア、ディレクター、その他たくさんの職種の人たちがいます。私が足元にも及ばないような技術や知識を持ってる人たちがわんさかいます。最近のアクセシビリティの盛り上がりから、これからもっともっと増えてくることでしょう。
ゴリゴリ推し進めている彼らがわざわざアクセシビリティに関する肩書きを名乗ってないのに、私が名乗るのか?ということは、ウェブアクセシビリティサポーターを名乗ると決めた時にも考えました。
だからこそ「サポーター」だったら私も名乗れるかも、と考えたんですが。

でもスペシャリストとなると、ちょっと違ってきますよね。
下手すりゃヘイトも受けますよね。お前程度が!口だけが!誰も私に言ってないのに、私はすでに心が折れそう。何もしてないのに心が折れそう。
どえらいものを背負ってしまった。

それでも、名乗ります。私がスペシャリストですと。
私が名乗ることで「この人に聞いたらいいんだ!」ってアクセシビリティ向上へのハードルが下がるなら、名乗ります。
多分宮崎だとウェブアクセシビリティスペシャリスト1号だと思うんですけど、どうですかね?他にいたら教えてください!
串間から高千穂まで、県内どこへでも向かいますので飲みにいきましょう!

スペシャリストとして、何をするのか

種を蒔く

ウェブアクセシビリティスペシャリストを名乗るからには、私のすべきことを確立しないといけないと思いました。
その時、自分の中であたためていた「職業訓練校でウェブアクセシビリティを広めたい」という思いを行動に移していこうと思いました。
母校の職業訓練校はセミナー会場に選ばれることも多く、生徒の参加も多いです。
セミナーを通して生徒にアクセシビリティという概念に触れてもらい、その彼らが宮崎県内の会社に就職することで、宮崎のウェブアクセシビリティのリテラシーを向上させることが今の私の野望です。
もっというと訓練校でひとコマでいいからアクセシビリティの授業をさせてもらうことを目指します。これは自分の意思だけでは成し遂げられませんが、セミナーを通して訓練校の運営の人にもアクセシビリティを伝えていきたいと思っています。

私はスペシャリストとして、アクセシビリティやっていきの種を蒔いていきます。これが私の「つぎはどうする」です。

ただ、勉強会もセミナーも慣れてないので、それらに慣れてる方々のお力を貸していただくつもりでいます。コネです!!

わたしがすべき理由

どんなにすごい人でも、田舎の末端までカバーすることはできません。
オールマイト1人では全ての事件を解決できないから、ローカルヒーローがいるんです。目立つ戦いをしていなくても、地道にその地域を守るヒーローがいる。(漫画「僕のヒーローアカデミア」参照)
あの人も、その人も、業界をひっぱっていってくれても、宮崎を牽引はしてくれません。役割が違うから。
だから私が、スペシャリストとして種を蒔く。

宮崎は3〜5年遅れる、という声を聞きます。
「クライアントが求めなければ仕事にならない」とも言われました。
それもよくわかります。
でもそれは「クライアントが求めないからアクセシビリティが低くてよい」にはなりません。
田舎ゆえの単価の低さ等で厳しい現実があるかもしれない。
それでもbuttonはbuttonでマークアップすることくらいできる。
できないとは言わせない。
たとえ求められなくても、私たちはウェブのプロとしてお金をもらうのだから。
ウェブのプロとして、アクセシビリティを高めるべきだと私は考えるから。
だから、やっていく。

一歩間違えるとウェブ業界あるあるの「ちょっと勉強しただけでメンターになる人」になっちゃうので、そこは気をつけます。
ぶっちゃけそう見えちゃってるかもしれないけどね。
実績もないし、気持ちはわかるよ!

まぁもし蔑まられたとしてもね。
私を蔑むあなたは宮崎で何をしてくれるの?って感じですね。

名乗った効果

ちなみにですが、以前の肩書きであるウェブアクセシビリティサポーターを名乗ったことで起こった変化をお伝えします。

デザイン面からのアプローチに物怖じしなくなった

2024年11月に、デザイナーさんに向けてアクセシビリティの勉強会を行いました。初めての登壇です。
初勉強会がデザイナーさんに向けたものという、コーダーの自分としては中々ハードルの高い挑戦でした。

以前の私であれば「デザイナーさんにデザイン面のアクセシビリティを語るなど畏れ多くて無理」と思っていました。
でもこの時は、「私はウェブアクセシビリティサポーターなので、必要なことはきちんと伝えなければならない」と自分がすべきことを考えて登壇に挑むことができました。
これは私の中でとても大きな変化でした。

勝手に名乗って、勝手に責任感じて、勝手に覚悟を決める。
ただ名乗るだけで意識が変わったのは、自分でも少し不思議な体験でした。

最後に

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宮崎のアクセシビリティシャンの目撃情報まってます。

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