「バカ」と「かしこさ」と真夜中のラブレター
時々、いや、割と頻繁に、人に対して「バカみたいだなあ」とか「なんでそんなバカなことをしたんだ」と思うことがある。
皆さんにもあるはずだ。隣の席のAさんが目の前にあるホッチキスを必死になって探していたり、テレビの向こうで、あの人があんなことをしているのを目の当たりにして「なんでそんなバカなことを」と言いたくなる時。
ぼくは脳科学者でもないし、IQの権威でもないので「正しい」ことは知らないが、たぶん、人間の知能指数、あるいは人間の「バカさ加減」は、個々人でそこまで大きく変わらないんじゃないか、と思う。
Aさんは「バカさ」が10で、Bさんの「バカさ」は18021だ、なんてことは、そうそうないんじゃないかなあ、と思うのだ。せいぜい、10〜100、下手をすれば80〜90くらいの範囲に固まっているんじゃないか、という気がする。
超有名ゲームソフト『ドラゴンクエスト』、いわゆる『ドラクエ』には「たいりょく」とか「うんのよさ」といったパラメータとともに「かしこさ」があった。かしこさが高ければ高いほど、呪文を覚えるスピードが速い、みたいなことだったように記憶している。
残念ながら、我々は自分の(そして当然、人様の)パラメータを数値で確認することはできない。テストの点数で「かしこさ」を測ることはできそうな気がするけれど、そういう意味での「かしこさ」が高い人が「なんでそんなバカなことを」と言いたくなることを全くしないかと言うと、そんなこともない。
『ドラクエ』では「たいりょく」や「うんのよさ」といった数値と同じように、一度上がった「かしこさ」は下がることがない。しかし、現実社会はそんなことはないはずだ。
だって「たいりょく」は、運動を怠ったり、病気をするとてきめんに低下する。「うんのよさ」については何とも言えないが、運がいい人は死ぬまでずっと運が良いか、というと、そうでもないような気がする。
「かしこさ」も同じだろう。人は「かしこい」時期と「かしこくない」時期があるものだろうと思う。もちろん、積み上がっていく「かしこさ」もあるだろうが、突然やってくる「おろかさ」というものも、あるような気がしている。
例えば、人は恋に落ちるとだいたい「かしこさ」が下がる。それは「勉強ができなくなる」という類の話ではなく「冷静かつ客観的な判断が下せなくなる」という意味で「かしこさ」が下がる。
だから、真夜中にラブレターを便せんに5枚も10枚も書いて、ろくに見返しもせずに封をして投函してしまい、翌日になって「なぜあんなことをしてしまったのか」と後悔するのだ。
あるいは「一万円を元手にギャンブルしたら、大勝ちして十万円になった。だから、この十万円に、もう十万円足して全部次のレースに突っ込む」なんていう、およそ論理的思考からは弾き出せない発想を行動に移してしまったりする。
これは「その人がバカだから」とか「愚かだから」ということではない、とぼくは思う。誰かが言っていたのだが「バカな人間」がいるのではなく「人間がバカな状態になる」という方が正しいと。
ぼくもそう思う。人はだいたい、普段の「かしこさ」が50〜100くらいをウロチョロしていて、何か重大なことが起きたり、冷静さを失うことで「かしこさ」のパラメータが4とか2まで落ちてしまう、ということがあるのだろう。
だからといって、ぼくは決して「バカな行為」を許容しようとは思わないし、愚かな行動の結果、引き起こされた悲劇については本人が責任を取るしかないと思っている。
いくら「あの時はどうかしてた」と後から思っても、投函してしまったラブレターは相手の手元に届くし、二十万突っ込んだ博打の結果が惨敗でも「うん、この時はいつもの君じゃなかったもんね」と、賭け金を返してくれる胴元なんかいるわけがない。
ただ、ただである。ぼくはそういう「バカな行為」や「バカな判断」を「バカだなあ」と批判することだけは、止めておこうと思っている。なぜなら、ぼくも同じくらい「バカ」になる可能性を秘めているからだ。
「バカをバカと言って何が悪い」という人もいるだろう。でも「罪を憎んで人を憎まず」ではないが「バカを憎んで人を憎まず」という考えがあっても良いはずだ。
ぼくらは、いつでも自分が「バカの沼」にハマるかもしれないと思っておくべきだ。そしてぼくは、その沼にハマった人をバカにする前に、バカな判断に至ってしまったことに対して思いを馳せたいと思っている。
大切なことは「バカにならないこと」でも「バカな判断をしないこと」でもなく「自分がバカになってるんじゃないかと気付くこと」じゃないかと思う。バカになることは仕方がない(かもしれない)し、バカな判断をしそうになることもあるだろう。だからこそ「アレ?オレは今、バカになってるんじゃないか」と思える自分でありたいと思う。
その上で、便せん10枚のラブレターを封筒に入れようというのなら、それはそれで、自分に対して「バカだねえ」と冷静にツッコミを入れられそうな気もする。