一周回って不便益
神社って結構不便なところにあることが多いんですけど、隠津島神社はホントに不便(笑)
住んでる人も訪れる人も不便だー不便だー言ってます。
じゃあ便利なところに住んじゃいなよ、って言われることもあるんですが、これがなかなかそうはいかないんですよね。
めんどくさいのか、意地なのか、自分の選択を肯定したいのか。
どれも正解のような不正解のような。
大学生の時に首都圏で生活していたときがありましたが、もうそれはそれは便利な環境に囲まれていましたのでとても快適でした。田舎者が都市部に憧れて上京したくなる人の気持ちがよーくわかりました。なんでもあるって便利ですもんね。
でも人間ってわがままなもので、一度体験した便利さってすぐに慣れちゃって、当初感じていた便利さの感動は、いつの間にか薄れてしまうように出来てるみたいです。
例えば物を買って得られた幸福感。
これって思いのほか持続しないんですよ。
心当たりがありませんか?新しい服、新しい靴、新しい車、新しい家などを買ったときは欲しくて欲しくて手に入れたのでとてもhappyな気分になれるのですが、この気分は徐々に減少してやがて感じなくなります。するとまた新しいものを買ってhappyな気分を得ますが、結局は徐々に減少して感じなくなる。それでまた新しいものを…の無限ループ。グルメ的な欲求って結構地獄かもしれません。ドイツワインをこよなく愛している方がおっしゃっていました。「ドイツワインは地獄の入り口」
豊かな暮らしって物に囲まれたり、欲しいものがなんでも手に入ったりとか、そういうことじゃないかもしれませんね、きっと。
じゃあどうしたら豊かな暮らしが出来るか。
最近ホットなキーワードを聞きました。その名も、
不便益(ふべんえき)
不便の益で不便益。
不便で良かった事や,不便じゃなくちゃダメなことってありませんか?
そして、なんとこの不便益について研究しているところがあるんです。
不便益システム研究所
http://fuben-eki.jp/whatsfuben-eki/
不便によってもたらされる利益について研究しているそうです。
じっくり読みましたが面白いです。めっちゃ面白いです。私と不便益の相性がいいからかもしれませんが。
物質が飽和している時代だからこそ生まれた思想なんでしょうか。
ページの冒頭を抜粋してみますね。
・富士山の頂上に登るのは大変だろうと,富士山の頂上までエレベーターを作ったら,どうでしょう.よけいなお世話というより,山登りの本来の意味がなくなります.
・ヒットを打てるように練習するのは大変だろうと,だれでも必ずヒットの打てるバットを作ったら,どうでしょう.これも同じですね.
・私が子供の頃,遠足のおやつは300円以内でした.もし,自由に好きなだけおやつを持ってきても良かったとしたら,どうでしょう?遠足前日に半日をつぶしてスーパーをうろつき,自分ならではの組み合わせを考え抜いたのは,今思えば楽しい思いでです.
・就職氷河期に,就活超勝ち組の学生がいました.コツを聞いたところ,新聞を取るのを止めたのだそうです.勝手に配達+口座引落しという便利方式を止めて,毎朝コンビニに行ってキャッシュで新聞を買う.これがコツだとのこと.
思い起こせば昔から不便な環境や不利な状況の方が、なんか燃えてくるし、結果楽しんでいたような気がします。物事の過程自体を楽しめることができるのは割と幸福ですね。
それにしてもこの状態を言語化する人がいたなんて。
さて、不便益について考えれば考えれるほど、神社は不便益の塊のような存在だと気づかされました。特に不便なところにある神社は苦労して参拝にいった「甲斐」があるってもんです。
隠津島神社はいまでこそ山の途中までは車で進めますが、車社会以前はそれはもう不便の極みだったんじゃないかと思います。そう考えると昔の人の方が苦労はあっただろうけどhappy指数が高かったんじゃないでしょうか。
効率を求めて利便性が発展したおかげで、数々の恩恵を受けられているのは事実ですが、不便益について思考するほど、その利便性へのありがたみもより深まっていきます。
隠津島神社、不便ですよー。
是非「不便益」で幸せを感じてみてください。