家にいるだけで自己肯定感が上がる世界
noteの使い方はよく知らない。
ここに書くことは、世の中への発信ではなく、あくまで個人的な日記です。
私は、自己肯定感が低い。
他人と比較して、人のいいところばかり見て、自分はダメだと思って、
誰にも否定されていないのに、誹謗中傷も受けていないのに、
攻撃されていないのに、むしろみんなやさしいのに、
ひとりで勝手に周りを見て、ひとりで傷ついてしまう。
劣等感。承認欲求。そんなことはもう何千回、何万回考えてきた。
始まりは高校時代。
中学までは成績優秀だったけど、進学校の高校に入学してから
周りのレベルの高さにおびえた。自分のレベルの低さに引いた。
いるだけで、自分のダメな部分と向き合わなければならない場所。
完璧主義で、ひとつでもうまくいかないと気にしてしまう性格。
全部ちゃんとやりたい。
そんな感情が、自分で自分を苦しめてきた。
完璧にやるなんて物理的に不可能だった。
本当に頭のいい人間とは、要領のいい人間だ。
私は、それを時間で補ってきた人間だった。
初めて現実を突きつけられた。
私はできない人間だった。挫折。
そして私は、不登校気味になった。
落ちこぼれの自分でいることに疲れてしまった。
行かない、行かない、行かない、行く、行かない、保健室
みたいな一番辛い登校パターン。卒業はできた。
今、コロナで自粛の世の中になって、
みんなが同じ条件で家にいる世界となった。
不謹慎だとは分かっているが、
私は、他人と比較せずに済む世の中になって
初めて自分と向き合わずにいられた。
何も考えず、他人とも比較せず、自分がどうだとか
自分にはこれがないとか、何も気にしなくていい時間だった。
家にいることが正義で、家にいるだけで世の中のためになる。
家にいるだけで自己肯定感が上がる世界だった。
コロナになってよかった、この状況が続けばいい
なんてもちろん思っていない。
ただ、みんなが同じ条件でいる世界は
確実に私の心をやわらげた。
もちろん在宅でもできる仕事をしていたという安心感もある。
そうでなければ、こんな風に世の中を見る余裕もない。
緊急事態宣言が発令される前、私はよく本を読んでいた。
(その時、よく読んでいたというだけで昔から読書家というわけではない)
それが緊急事態宣言が発令され、自粛になってから全く読まなくなった。
そして、緊急事態宣言が解除される前日に、また本を読み始めた。
そこで、気付いた。
私は、世の中でたたかうために、自分を変えるために、
自信をつけるために、外の世界にいても自分で自分を認められるように、
本を読んでいたのだなぁ、と。
楽しんでいると思っていたことも、
一生懸命楽しもうとしていた。
一生懸命日々を充実させようとしていた。
と、気付いた。
何のため?
そうしないと充実している人たちの中で
自分の精神が保てなかったから。
自分の心が不健康になってしまうから。
本当は何もしなくていいなら、何もしなくていいのに。
心から楽しいことをしたい、なんて思っていないのに。
それでも、これが世の中、社会。
私は、この世界で生きているのだから。
これからも一生懸命、自分の心を健康にするために生きたい。
自分の心の健康が、人を大切にできる余裕を生み出す。
私は、これからも他人を見ながら、自分と向き合い続けるだろう。