ほぼ毎日なにか書く0423
非常時の議論は平時の議論に接続が可能である、という話を読んだ。それは震災、具体的には阪神淡路とその後、そして3.11とその後というタイムラインで日本の文化政策の変化をふりかえるという趣旨のものだったのだけど、本題以上に文化政策を災害という非日常と日常の幅の中で見ていくということがけっこう面白かった。災害は、社会の構造を少しずつ組み直していく。正確には災害に対応する中で人間自身が新しいことをはじめたり、新しい枠組みをつくったり、既存のものが使えなくなったりするのだけど。その瞬発力的なものは、結局それ以前の平時のはなしを抜きには考えられないということだった。災害自体がなにかを変化させるのではなく、もともとそこにどんな生活があり、災害によってそれがどう変えさせられ、どう安定化したのか、ということだ。「災害は人間のいないところでは起こらない」という視点も、考えさせられる。
このウイルスクライシスは災害なのだろうか。そんな気もするし、そうでない気もする。運び屋が人間だということが大きい気がする。震災以上に、どうしようもない自然の脅威というより人間の行動如何だという点ではまた違ったタイプのストレスがある。
今回の非常時から捉え返せる平時の議論ってなんだろうか。問題に対する対応の豊かさを生み出すためには、ということだろうか。まず、この状況に善処している人や場や職種ってあるのだろうか。主観的にいくつか羅列してみる。
・明和電機のライブ配信
・天草で他業種連携してお弁当の開発と販売
・日記をつけはじめた知り合い
・1人だけ観客を招待して上演したアイルランド(たしか)の劇場
・応援上演という仕組みをスムーズに行った知人
・地域のテイクアウト情報の集約
そのときの肌感覚に素直に従えること、行動のためのリソースがあること(特に人的なリソース)ということだろうか。
↑は非常時から逆算した平時だけれど、非常時から生まれる、というか改変される平時というものもある①。または非常時によって弱さが露呈した平時もある②。
舞台芸術は1.17でも3.11でもその存在価値を問い直されてきた。今回はそれともまた違ったかたちで、むしろその形式の部分を問い直されている(②)。①に対応していくために今後どういう形式がありうるか、根っこから考えないと社会はどんどん先に進んでしまうような感覚がある。今後また今回のような非常時になったときに乗り越えられる体力とはなんなのか。それが結局いまこの瞬間にも可能性のある一手のような気がする。
身近な人たちとのセーフティネットを作っておくこと(死なないため)、複数の生産手段を持っておくこと(いざというときの副業)、説明できる言葉や制度をもっておくこと(説得と信頼の獲得)、みたいなありきたりのことしか浮かばない。そんなこと一つも守らない「本物」みたいな人もいたらいいと思うけれど、今回露呈したのは表現は一人では(少なくとも興行としては)成り立たず、わたしとあなたと彼らのあいだで最低限共有できる約束がないと集まることもできないということじゃないか。もしかしたら独立国家をつくって演者と観客がその中に閉じこもって一切外に出ないなら上演できるのかもしれない。けれど、普通に考えて社会との関わりを断つことはできない。また芸術自体が社会との関係の中で成り立っていることを考えると、やはり厳しいものがある。
うーん。やっぱりわたしはここに、あなたはそこにいるという中でできることを考えるしかないんだろうなぁ。画面ではなく、あなたの部屋を劇場にすること。シアター、テアトロンの語源は観客席だ。芝居も芝つまり観客が座っていた場所のことだ。演者がいる場所ではなく観客がいる場所がシアターなのだから、画面はあくまで小道具で、観客のいる空間をシアターにしないといけないんだろうか。
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