見た目や肩書きで人を判断しないと決めた話
こんにちは。あべたかです。
久しぶりに眠っていたダンベルで筋トレたら翌日に筋肉痛になりました。まだ若いんじゃないかと嬉しくなった朝。
高校生の時
まさに青春。多感な時期。僕のいた高校はまさに動物園でした。クラスは文系や理系、美術などの芸術系がミックスされた人達の集まり。それなりに進学校でしたが個性派揃い。金髪、ピアス、ときにアフロの人、レインボーの髪もひとりだけ笑。今になって思う。それぞれ将来のビジョンが明確だった、意志があった。実際に皆当時の夢を叶えている。ドキュメンタリーの監督、電通クリエイティブディレクター、芸能人のスタイリスト、800億企業のCFO、世界コスプレサミットの運営...ほか。大学行ってどうしよう?という人はいなかった。明確なモチベーションがあったからこそ何者でもない自分に葛藤していたのだと思う。
僕はというと自分でピアスをあけて髪は明るめ、時に金髪、自分でパーマもやってました。クラスの中ではヤンチャな括りの存在。先生からも注目されがちだけどちゃんと勉強しているので好感は持たれていたかと...。
レッテルが嫌い
先生によっては見た目だけで決めつけたり、友達によっては表面的な情報だけでカテゴリを決めてグループになる。一面的な決めつけに違和感を感じていた。もっと知ろうよと。
僕は一人ひとりが何でそのような自己表現をしているのか?どういう原動力があるのか?を知りたくて陰キャラからヤンキーまで話をした。ほとんどの人が葛藤して強がっていてどうなるかわからない未来へのストレス、やり場のない怒りや不安をもっているだけで全員ただのいい子達だったことがわかった。
だから、話をしないとわからない。決めつけない。と決めた。ここが原点。
人への接し方
当時の姿勢は社会に出てからも同じ。経営者、人事担当者さま、皆立場と考えがある。当時人材採用の営業だった僕も同じく中小企業の営業マンという立場と売上を上げるという目的があった。
「みんなロボットみたいなやつばっかりや、阿部さんだけはそうじゃなかった」
そう言われたことが何度かある。思い当たることとすれば一つ。立場よりもその人自身をみて考えを普通にぶつけること。これをし続けた。もちろん、組織だから僕しかできない引き継げないことはしないようにしながら。
立場や考えは気にしすぎるとロボットになる。シンプルにこの人が本当に葛藤していたり、助けて欲しかったりするものは何か?に対してビビットに反応してあげることをやり続けること。これがバレンサーで掲げているスローガン"for loved ones."大切な人のためにどこまでも。の起源。
同じように、人に対してとにかく真摯でいられる人たちをメンバーに迎え入れて今まさに邁進している。
「僕たちって、いくら線引きしたって、結局どこまでもやってしまうじゃない?だからどこまでもやりたいと思えるクライアントの為に生きたいよね!」と。
どこまでもやりたい‼︎と思えるクライアントと出会う為には、自分達自身が人に対して真摯に向き合える集団であること。ここだけは揺らぐことはない。目先の利益を逃してもいい。僕がバイトしたらいいだけだ(それをいうと怒られる)。
これからも良い仲間と良いクライアントに恵まれ続けるように努力していきますね♪
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