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ぷちえっち・ぶちえっち26 間違いはおかすなよ

 この連載はちょっと笑えるちょっとエッチなエッセイです。今回は「ぷちえっち」編。少しだけエッチなお話です。


 「もしもし、あべさん?元気にしてる?」
 仕事から家に帰ってすぐ、電話が鳴った。ゆきちゃんからの電話だった。


 ゆきちゃんは大学のサークルの1年後輩である。出会ったのは僕が20歳の時だ。もうそれから4年が過ぎていた。


 それほど深い付き合いはなかったが、顔立ちの整ったとてもかわいい子だった。


 一度、大学の学園祭の時に、たまたま2人とも時間が空いて、一緒に校内を回ったことがある。もう内容は覚えていないが、2人並んで座って何かの舞台を見た。


「なんてかわいいんだろう」。
僕は舞台より、ゆきちゃんの横顔を盗み見るのに夢中だった。おでこから鼻筋、唇、顎への至るラインは、まるで絵に描いたような絶妙のバランスですっかり見とれてしまった。


 そのゆきちゃんから、4年ぶりの電話である。僕はうれしくて、当時の思い出や今の仕事のことを一生懸命に話した。ゆきちゃんも楽しそうだった。


 それから2人は付き合うことになった。何度か電話で話し、何度かデートして、ゆきちゃんは僕のアパートに来た。


 ベッドで服を脱がすと、ゆきちゃんは、
「ごめん、あべさん。私傷があるの。きれいじゃなくてごめんね」。
 と言った。

確かに、左胸の下あたりに、長さ7、8センチの傷痕があった。子どもの頃にけがをして残った傷だという。


「ばかだなあ。そんなこと、全然気にならないよ」。
僕は言った。本当にそうだった。ゆきちゃんの裸は中国の白磁のように美しかった。


 それから毎週末、ゆきちゃんは僕の部屋に来た。2人で過ごす時間はほんとうに楽しかった。2人で笑い、2人で愛し合った。かけがえのない時間だった。


 ただ、ゆきちゃんは決して僕の部屋には泊まることはなかった。
「一人娘で親が厳しいの」。
という。僕も無理して泊まっていけば、とは言わなかった。


 それから半年が過ぎ、ゆきちゃんの口から「結婚」という言葉が出るようになった。僕はあまり結婚という実感はなかったが、ゆきちゃんが望むなら結婚もいいかな、と思うようになっていった。


 そして2人は、ゆきちゃんの家に結婚を前提にお付き合いしています、と挨拶をしに行くことになった。


 ゆきちゃんの家は、両国の駅前で不動産業を営んでいた。当時はバブルのまっただ中である。地価は右肩上がりに上がっており、不動産業もたいそう儲かっていたのだろう。大きな塀に囲まれ、広い庭のある旅館みたいな一軒家に通され、僕とゆきちゃんは応接間の重厚な革張りのソファに座った。


 出てきた父親は、背が高く、恰幅がよく、いかにも不動産屋の社長、といった貫禄たっぷりの大男だった。若いときにはラグビーでならしたという。


 「うああ、すごいのが出てきた」。と僕は思ったが、ここまできた以上は腹をくくるしかない。僕は型どおり、
「お嬢さんと真剣に結婚を前提に付き合っています。よろしくお願いします」。といい、自分の略歴や今の仕事の内容を説明した。


 ゆきちゃんの父親は、いくつか僕に質問をして、一段落したところで、
「付き合いは許すが、結婚するまでは絶対間違いはおかすなよ」。
といった。


(ええっ!もう全然間違いっぱなしなんですけど~)。
と心の中で思いながら、僕は、
「はい、わかりました」。
と言った。このラグビーおやじの前ではこう言うしかないであろう。
 それで一応親公認、ということになった。


その1カ月後。僕とゆきちゃんは、軽井沢のペンションにいた。夏休みに旅行がしたい、というゆきちゃんのリクエストに応えたのである。


2人で夜を共にするのは初めてだった。その晩のゆきちゃんは、いつもとは別人のように積極的だった。僕の下着を自分から脱がし、僕の上に自分から跨がってきた。そんなことは初めてだった。開放感があったのだろう。女性にも性欲ってあるんだ、と僕は初めて知った。


その一週間後に事件は起こった。


僕が家に帰ると、ゆきちゃんの父親から電話がかかってきたのである。
「おまえ、あれだけ結婚するまでは間違いをおかすな、といったのに、何してるんだ!」


といきなり怒声である。ゆきちゃんは、女友達と旅行に行く、とうそをついたのだが、ばれてしまったのだ。


それから父親は一方的にまくし立てた。僕は黙って聞いていた。まあ、約束を破った、と言われれば、僕にも非がないわけではなかったからだ。


しかし、少し冷静になってから、ゆきちゃんの父親は聞き捨てならないことを言った。
「なあ、うちの娘はお嬢様育ちで金がかかるんだ。大変だぞ」。
「おまえの父親は50にもなって、いまだに会社の社宅ぐらしじゃないか。安サラリーマンの息子じゃうちの娘は厳しいぞ」。


「調べたのか。父親がなんだろうと関係ないだろう」。
僕は頭にきて強い口調で言った。この話に僕の父親を出される筋合いはない。僕に何を言われてもいいが、父の悪口は許しがたい。


「まあ、悪いことは言わないからとにかく娘とは別れることだ」。
父親は諭すように言って、電話を切った。


 僕は怒っていた。僕のために一生懸命働いてくれた自分の父親をけなすのは許されない。


携帯のない時代であるから、僕からゆきちゃんの家に電話はできないが、必ずゆきちゃんから電話がかかってくるであろう。その時は、
「あんな親父のいいなりにならないで、荷物を持って僕の家に来い」
というつもりであった。


そして次の日。衝撃の事件が起こった。


僕が仕事を終えて、午後9時ぐらいに家に帰って部屋の電気を付けた時だ。何か違和感を感じ、テーブルの上を見た。


テーブルの真ん中に、ぽつん、と僕の家の鍵が置いてあった。鍵には見覚えのある銀のキーホルダーが付いていた。僕がゆきちゃんに渡した部屋の合鍵である。テーブルの上には、二人で並んで撮った写真が飾られていたが、これも写真が抜き取られていた。


僕はあぜんとした。ゆきちゃんは父親を取ったのだ。荷物を持って家に来い、なんて言おうとしていた僕はピエロではないか。


ゆきちゃんとはそれきりだった。最初は頭にもきたが、父親から溺愛されてきたお嬢様育ちのゆきちゃんにとって、結婚で父親との絆が切れてしまうのはどうしても怖かっただろう。


それから風の便りで、ゆきちゃんはどこかの青年実業家と結婚した、と聞いた。今では、幸せになっていて欲しい、とただ願うばかりである。

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