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9 震災のこと⑤ 父の話

父が石巻の様子を見に車で連れて行ってくれた。
石巻は全然違う街になっていて、爆弾が落ちたような酷い状況だった。
もっと海沿いの友達や知り合いは大丈夫だったんだろうか・・・
変わった風景を見ながら苦しくなった。

みんなが避難した日和山という小さな山があって、父はそこに連れて行ってくれた。
その山から見える光景は悲惨しか言えない状況で、震災直後に石巻がテレビで放送されなかった意味が分かった。

海外からの援助の方、自衛隊の人が沢山来ていて、石巻は外国みたいだった。東京にいると、その当時は自衛隊の対応の遅さに対しての批判をSNSでしている人をよく見かけた。でも父は自衛隊の人を見つけると、
「ありがとうございます。ご苦労様です」と一人一人に言っていました。
深々と頭を下げる父の姿は、自宅が助かった者として今できる事を痛感し、何も出来ない自分へも悔いているような・・私の心に深く刻まれた姿だった。
「石巻の為にみんな働いてくれてるんだ。感謝しかない」
そう言った父を、今でも一人の人として尊敬しているし、その姿を見せてくれた事に感謝している。
本当に立派な人だ。

批判する人には分からない見えない部分。
批判したい気持ちが働いて見えなくなってしまっているんじゃないかとさえ思うSNS。

この時の父の姿とSNSの違い、飛び交う言葉の違いに違和感を感じた。

石巻は私にはいい思い出しかない。
悪友と沢山馬鹿をした楽しい場所。
石巻のいい部分を伝える事ができないだろうか。
分かってもらえる人に分かってもらえればいい。

友人、母、父、家族、親戚、いろんな人の話を聞いて私が思った事。

自分に出来る事なんてそもそもないんだから
出来る事を必死に考える。

この気持ちが私たちのキッチンカーを続けてこれた原動力です。


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