fuwariの秘密基地

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jazzbar ロリンズにて出店②

ロリンズでの出店。 店の前に車を停めて販売させてもらった。 優さんが自分のお店のお客様に言ってくれていたので お客さんが沢山来てくれて おばあちゃんのしそみるくも沢山食べてくれた。 娘の友達にも話していたので ママ友や友人も 沢山来てくれた。 脱サラしてこれから頑張ろうと思ってはいても 不安ばかりだったので みんなが「美味しい」と言ってくれて 嬉しかった。 誰かの好意でこうやって出店させてもらえて 皆が来てくれて、もうやるしかなくなった。 こんな綺麗なお花も頂いた。

    • jazzbar ロリンズにて出店①

      娘の保育園が一緒のパパ友の優さんがロリンズというjazzbarを始め よく通っていた。 優さんは元ジャングルクルーズの船長だったり、元メンズegg(ギャル文化の最高峰の雑誌)のモデルだったり、大手企業の営業してたり、と色んな経歴を持つ人だ。 言葉ではうまく言えないけれど、とにかくワイルドな人で 特に人を引き付けて、巻き込む力がとんでもない。 キッチンカーを始める前に自営業の先輩、飲食の先輩として 「キッチンカーをやってみたいんだけど、副業から始めようと思うんだ」と相談してみ

      • キッチンカー出店 中目黒ガレージ しそみるくの謎

        この場所で時間がある時は必ず「しそみるく」を食べた。 暑いときは2杯。 こんな感じ↓ 毎日毎日食べていたら、これはしそみるくに依存しているんじゃないかと 気になってきて、紫蘇ジュースの成分について調べる事にした。 ネットで検・・・ しそをジュースにした成分を摂取すると摂取するだけで 『セロトニン(幸福伝達物質)』が出ると書いてあった。 その時期は、仕事を辞め、目まぐるしく頭を使う毎日で疲れていた。 そして、夫婦で仕事をすることの大変さにもなんだか疲れていた。 仕事の価値

        • キッチンカー 中目黒ガレージ続き

          3人で来る方も居たりするので 椅子を増やした。 お金がなかったので、中古アウトドアショップでなるべく綺麗な椅子をなるべく安く探した。 良い感じに3〜4人は座れる! 小道を入らないとこの場所には辿り着けないので、大通りに看板も作った。 全部手書きで、手作り。 今思うとなんだか怪しい看板だ。 でも怪しいからか 手作りだからか 「看板見ました」という人も増えた。 来てくれたお客さんに合わせて少しずつ努力する。 少しずつ人が来てくれて話をする。 平日は数杯。 土日は30〜

        jazzbar ロリンズにて出店②

          キッチンカー出店 中目黒ガレージ続き

          この場所はネット予約制で他のキッチンカーさんやこの場所で雑貨を販売したい人なども出ていた。 ガレージに入れる車の大きさやこの場所のオーナーさんがOKを出した食べ物じゃないと出店できないので(例えば肉は臭くなるから嫌など)、それぞれの条件を満たしながら場所を探すのは結構大変だ。 この場所は運よく条件を満たし、私たちの秘密基地となっていた。 2ヵ月くらいここに出た時に 「この店じゃない?」と女性の方達が立ち寄ってくれるようになった。 出店の度に2~3人はお客様が来るので と

          キッチンカー出店 中目黒ガレージ続き

          キッチンカー出店 中目黒のガレージの始まり

          8年前は今よりもキッチンカーの情報もなかったし、出店場所もなくて、 見つけた登録場所にとにかく連絡するスタイルだった。 【軒先ビジネス】という個人や企業の方で空きスペースを持っている方と 空きスペースを使いたい人を繋げるサイトを見つけた。 中目黒の個人の小さなスペースに登録して出店出来る事になった。 キッチンカーをガレージに入れると半分スペースが空き 私たちの小さな店が出来たような凄くいい場所だった。 通った人が見えるようにキッチンカーに 「手作りシロップ」と手書きの暖

          キッチンカー出店 中目黒のガレージの始まり

          キッチンカー出店 南千住

          初めての出店場所を管理している会社の現場。 南千住のショッピングモールの横に出店した。 今回の目標は前回より接客をする事。 練乳もシロップも全部手作りで美味しい!安い! 前回買ってくれたお客様に言ってもらえた事を売り文句にして 接客を頑張る事にした。 そして、南千住限定の『南』クッキーを作った。 (この時の限定品がこの先の限定メニューでの依頼を沢山受けるきっかけになりました) 通りすがりに見ていく人に 「手作りのシロップです!」と話しかけ、 とにかくニコニコ。 興味本位

          キッチンカー出店 南千住

          キッチンカー初出店!!

          初出店はゲームセンターの入り口だった。 メニューも模造紙で描いてなんとなくカキ氷屋さんに見えるように。 車が可愛いから大丈夫だろう。と その時の私たちにとったら一生懸命だったんだけど 今思うと全て『なんとなく』だった。 その時はお金もなかったし、メニュー看板もなかった。 風も強く模造紙のメニューはひらひらして見えないし 全然売れない。 そこの担当だった警備員さんが 「メニュー見えないから使ったらどうですか?」 と看板を貸してくれた。 接客するもなにも、初めての販売で押し

          キッチンカー初出店!!

          キッチンカーの準備③ 計画

          『キッチンカーを借りる』から始めてしまったので 借りたら何をすればいいか考えながら、計画を立てた。 ①キッチンカーの営業許可を取る →キッチンカーはどうやら県ごとに許可が必要らしく まずは東京都と横浜許可を取ることにした。 ②メニューを考え、看板をつくる ③必要なものを書き出してそろえる ④出店場所を探す ①営業許可 その当時はキッチンカーの情報は今より少なかったので ネットで探して、役所に行って聞いて、手探りで1つ1つ進めて行った。 横浜の許可を取ろうとしたら神奈川県は横

          キッチンカーの準備③ 計画

          キッチンカーの準備②

          そんなこんなで始まったドタバタ劇場は 何から始めていいか分からずで始まってしまった。 計画なんてものも何が正しいか分からないので とりあえず、前に見つけたキッチンカーをレンタルしている場所に行き キッチンカーを選びに行くことにした。 小さな可愛いいい色の車を見つけた。 ウォークスルーバンという小さなバスみたいな車だった。 主人に乗ってみてもらったら 車と主人の顔と雰囲気が似ていた・・・。 即決定! 車の免許のない私の怖さは、見た目でしか判断できないところで この判断が

          キッチンカーの準備②

          キッチンカーを始める準備

          先に主人が仕事を辞め 私は3か月後に仕事を辞める事にした。 子供もいるし、副業しながらも考えたけれど 仕事を辞めてやらなきゃ意味がない! きっと甘えた気持ちがでて本気でやらない! そんな気持ちで2人とも仕事を辞める事にした。 (今思うと怖い。。。若気のいたりは強い) 準備は主人に任せて私はお金の計算をしたり 主に経理担当で考えていた。 主人は元の職場では私の上司だったし 自分も誰かについていく方が得意な気がしていたし サポートのスペシャリストとして君臨しようと思っていた。

          キッチンカーを始める準備

          キッチンカーのこと① タイ旅行

          震災から5年くらいして友人とタイ旅行に行った。 友人は石巻出身で高校の同級生。 震災の時はその友人の家も流されてしまい、家族が避難所にいた。 こっちに居ながら何が出来るのか二人で集まって何度も会議をしていた。 結局、「何も出来ない」という結論にいたり、出来る範囲で必要なものを友人に送ったりしていた。 自分たちは無事だったけど、家族や友人たちの生活が落ち着くまで 静かに暮らそうと、2人とも心がここにないようなあるようなそんな感じだった。 色々あったしどこか行こうか。せっかくな

          キッチンカーのこと① タイ旅行

          12 震災のこと⑧ 父からの電話

          しばらくして父から電話があった。 「掲示板にお父さんの事書いただろ」 震災時私は東京にいて、3日間家族と連絡がつかなかった。 石巻の友人達が友人たちや家族の安否を掲示板に載せてくれていて 家族と連絡が取れない話をしたら、【探してます】の場所に書いてくれた。 家族の特徴を聞かれ 父:身長172㎝、赤ら顔、小太り、眼鏡 と伝えた。 その後、見つかったと友人に報告し、安否が確認された事を掲示板にも書いてくれた。 横浜の父の兄弟から連絡が来たらしく、その掲示板を見て安心したと言

          12 震災のこと⑧ 父からの電話

          11 震災のこと⑦ 友達

          震災から少し時間が経った時、何人かの友人から電話が来た。 「友人が見つかってないんだけど誰かから何か聞いたりしてない??」 皆が探していたその子は、1年前に結婚して、震災時は1人で女川にいた。 その子の両親も津波で流され、残った旦那さんが探していると聞かされた。 その子には妹がいて、両親が亡くなった悲しみを考え 妹さんには「見つかった」と伝えて 旦那さんが1人で探し歩いていたらしい。 いい人と結婚したんだな。 私はその時、きっと見つかると思ったし、そんな事を普通に考えた。

          11 震災のこと⑦ 友達

          10 震災のこと⑥ 娘の話

          震災の時私は東京で仕事をしていました。 大きく揺れるビルの中で 震源が宮城なんじゃないかと思い、会社の電話から実家に電話していました。 電話はつながらずでした。 予想通り震源は実家の方で、テレビでは仙台に沢山のがれきや人が流されていると報道されていました。 みんな無事だろうか・・・ この中にいたらどうしよう・・・ 心臓が今までに感じた事のない変な動きをしていました。 不安しかない中、娘の通っている保育園から娘の無事を知らされ、 交通機関が止まっていたので、再開してから迎

          10 震災のこと⑥ 娘の話

          9 震災のこと⑤ 父の話

          父が石巻の様子を見に車で連れて行ってくれた。 石巻は全然違う街になっていて、爆弾が落ちたような酷い状況だった。 もっと海沿いの友達や知り合いは大丈夫だったんだろうか・・・ 変わった風景を見ながら苦しくなった。 みんなが避難した日和山という小さな山があって、父はそこに連れて行ってくれた。 その山から見える光景は悲惨しか言えない状況で、震災直後に石巻がテレビで放送されなかった意味が分かった。 海外からの援助の方、自衛隊の人が沢山来ていて、石巻は外国みたいだった。東京にいると、

          9 震災のこと⑤ 父の話