夢世界
愛しい我が子よ。今夜も、夢で逢いましょう。
私、全然さみしくない。
だって私のかわいい坊やの心は、常に私とともにあるから。
だから夢で逢えるのね。
夢世界
寝ている時が一番幸せ?
じゃあ、好きな夢を見られたらもっといいわね。
どんな夢が見たい?大金持ちになれる夢?おいしいものをたくさん食べられる夢?
それともあなた位の歳なら、好きな子と、両想いになれる夢の方がいいの?
すぐには選べないわよね。でも選ばないといけないわ。もう寝る時間だからよ。
あら、また、これにするの?これがいいのね。じゃあおやすみなさい。
夢を見た。
夢の中で私は、低い丘のある草原にいた。
丘の頂上で、麦わら帽子を被った母の膝の上に寝ていた。雲一つない澄んだ青空で、それは本の挿絵で見た、異国の透明な海に似ていた。帽子のつばに隠れて、母の顔は見えない。私は母の顔を知らないのだから、当然だった。
生まれた時に死んだ。写真も一枚もない。叔父に命じられた父が、全部燃やしてしまったからだ。
でも私は、それをみじめだと思ったことはない。むしろその方が良かった。
自分が一番好きな母を想像出来たから。
かみさま。誰よりもきれいで、誰よりも優しいかみさま。
母は何も喋らない。物静かな人だったと聞いていた。
声を聞きたい。何と話しかけよう。
笑って欲しいな。
心地よい風が吹いている。景色は変わらない。
何も起こらない。
突如、「はっ」と言う母の声を聞いた。
ソプラノが耳に心地よい声だった。
膝の上にだらりと下がっていた白魚のような手が不意に私の背中を掴んだ。
やっと、思い出してくれたのか。天にも昇る心地だった。
母は徐々に力を込めて、私の体を抱いていく。戸惑い、疑い、焦り、そして小さな喜び。波のように強弱を伴って現れる母の感情の波に、私は腕を通して呑まれるようだった。
母の麦わら帽子が落ちた。
見上げた顔の真ん中には、無邪気な幼児を想像させる、つぶらで、大きすぎる瞳が3つ並んでいた。
真っ赤な口紅が塗られた口元には、陶器のように白く、刃物のように鋭い牙。
そして、あああ、
母の腕は8本あった。
母は凄まじい叫び声を上げると、幾重もの腕を器用に使って、私の体をもう一度ぐしゃりと掴みこんだ。二度と離すまいとするかのように。
歓喜の最中にあった私は本能に従って叫び、もがいた。
8本の腕が挟む力が急激に強くなる。
指先の骨が折れる音が、小さく響いた。
母は私に夢中のようだった。
おぞましい腕から生えた鋭い爪が私の体に突き刺さり、血と一緒に肉を抉った。
肋骨と背骨が折れてしまったのか。
支えを失った私の体は抵抗を止め、母の腕達の動きに合わせてびくびくと痙攣するだけとなった。
そして私は首の骨が折れる、断末魔の音を、今日も聞いた。
白目を剥き、生気を失った私の顔は、極限まで澄み切った罪の無い青空を見上げた。
おかあさん
また私を咥えて、巣に連れ帰る前に、この顔をもう一度よく見て。
そうすれば、そうすれば・・・・・・。
ねえ、夢は素敵ね。
愛するあなたを一目見たいという思いを募らせたら、大きくて澄んだ瞳を、たくさん持てたわ。
抱きたいと一心に願ったら、長くて強い腕を、たくさん持てたわ。
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