毎日Uber Eatsはない
本日はこちら。今回は普段書いているようなビジネス系の内容ではございませんのでご了承ください。
はじめに答えだけを書くと当面Uber Eatsは使いません。誤配はするわ、謝罪はないわ、いきなり返金の処理だけ進んで、再配達の選択肢はないわ・・・単なるクレームかも知れませんが、本当に酷い目に遭いました。
一方で出前館はそれなりのヘビーユーザーです。特に土日は使うことも多いです。宅配サービス自体はけっこう便利だと感じているので、結構使いこなしています。
何がどう便利かと言えば、子供のご飯を作らなくて済む点が便利です。子供が食べれる店を選んで、そこから大人たちも食べるものをついでに選んでいます。
なので、宅配サービスはある程度は便利だけど、感動やワクワクは別に我が家にはありません。家事が一つ減ると言う利便性はありますが、そこまでです。いつも宅配サービスには、何か違和感?限界?を感じているので、その点をまずは整理したいと思います。
おかわりできない
宅配サービスの致命的な欠点は、おかわりができない点です。厳密にはできないくはないですが、再配送となれば配送料も時間もかかります。まぁ、ランチメニューくらいなら、ご飯の大盛りにするかしないかくらいのレベルで済みます。しかし、居酒屋メニューで晩酌となると追加、追加で気分に合わせて発注していくスタイルが望ましいですが、宅配サービスでは実現できません。決め打ちでパーリーセット的なものを頼むのが限界です。自宅マンショ下のコンビニなら、漬物が欲しくなれば、サッと買いに行けます。
確実に食べれるという実感がない
マンションの下のコンビニに行けば大体のものがそれなりの味と価格で楽しめる時代に、すぐ食べれないことに誰も不満を持たないのは凄いなと個人的には思っています。お腹が空いたらすぐ食べたくないですか?皆さん辛抱強く、下手すれば60分とか待つ訳です。
僕は本当は待ちたくない。せめて、野菜を切ってるのか?炒めてるのか?皿には載ったのか?全部映像で監視していたい。配達員のヘルメットにもカメラを付けて、今どこを走っているのか?どんな運転の仕方をしているのかも全部見たい。
旧来の町の中華料理屋に入れば、「ラーメン一丁」と店員が叫べば、そこからジュージュー野菜を炒める音が聞こえたり、麺をお湯に入れる姿が見えたり、パントリーに皿が上がって、いよいよこっちに来るな・・・みたいな過程がありました。
システム化されたお店、例えばマクドナルドでさえも、そうですよね。ハンバーガーの作る工程までは見えませんが、忙しなく店員が何名もいて作っているし、ポテトかき混ぜてるし、ジュースは注いでるし、袋詰めしてるし、番号表示のボタンを押そうとしているし。
ファミレスについて言えば、工程は見せません。でもまぁ、大体経験としてどれくらいで料理が出てくるかは分かります。今日のウェイターさんがテキパキしているのか?なんかダメそうなのか?店は混んでるのか、空いてるのか、みないなのも分かります。
しかし、例えば「配達目安20分」というものに対して、きちんと20分後に来たとして、それは注文してから食事にありつけるのが、コンビニよりは時間がかかるとしても、近くのファミレスまで往復する時間よりは、短時間であるとしても、それでもやはり、不安と不満を感じてます。
それはあまりにも自分のコントロールできる範囲を超えたところで物事が動いているからなのかも知れません。お腹が空いていて確実に何かを食べたい時に、本当にくるのかどうか?唯一信じるものはスマホの画面の「ご注文ありがとうございます。20分後に配達予定です」の言葉だけというのは、なんとも心許なくさせられ、ストレスです。
すぐに食べれないことも嫌なのに、20分後に食べれる保証を感じられないのは、僕は結構辛いです。
配送料がかかる
確かに配送員にフォーカスすれば、配送員は時間的に拘束されて運んでいるのでお金を払ってあげる必要があると思います。
しかし、私たちは配送されてくることに本当に価値を感じているのでしょうか?価値は感じていると思いますが、「最高の瞬間」という価値ではない気がしています。むしろ「何かよりはマシ」という価値の感じ方をしてないでしょうか?
例えば、「コンビニ飯よりかは豪華だからマシ」、「外食したかったけど時間がない、何も食べないよりはマシ」、「本当はみんなでワイワイしたい。とは言え、居酒屋でコロナになるよりはマシ」。
こういう観点で言うと、やっぱり送料って払いたくない。
お店探しが難しい
実際に行ってみれば、子供が入りやすいかどうかは店構えや店の雰囲気でなんとなくわかります。子供が食べれる食事を提供しているかも、それで大体わかります。他のファミリーが店にいれば、うちもなんとなくいけるな、とか判断ができます。
しかし、宅配はわからないですね。
辛そうにも見えるけど、なんとか子供でも食べられそうにも見える。体に良さそうにも見えるし、そうでもなさそうにも見える。
自分たちが疲れていて自分たちの食事のために宅配を頼む場合、ついでに離乳食のパックを誰か買ってきて欲しいなと思ったことがよくありました。結局離乳食まではほとんどの店はメニューにないので、当然宅配もされてこないので、離乳食はどこかで調達してこないといけない。誰か離乳食も宅配してくれ。
そんな真っ赤なソーセージの入ったお子様ランチはいらないから、おにぎりと煮浸しだけでいいんだけどな。ソーセージだけ後から抜けばいいとか思うかもしれませんが、そんなことしたら子供は返せ返せとビービー泣くしなぁ・・・。こうやって選べる店は減っていきます。
結局何が言いたいか
結局何が言いたいかと言うと、宅配サービスは、大したサービスではないんじゃないか、と言うことです。例えば、コスパは悪いと感じることは多いだろうし、サービスはある程度便利だけど感動まではいかない。
よく、飲食店のキャッチフレーズでは「美味い」と並んで「寛ぎの空間」とか「大切なひと時を」みたいな言葉があります。
こう言うところまで宅配サービスは提供できない。
宅配後に寛ぎの空間になるかは、その家に住んでる人の手に委ねられています。料理が不味いとかぐちゃぐちゃになっていれば寛ぎは破壊されるますので、宅配というものは、寛ぎに対しては防戦一方で攻め手を見出すのは簡単ではないように思います。
だから、家で調理しないという広い意味での外食において、僕は宅配サービスは主流にはなり得ないと思います、少なくとも現時点では。
だったら自宅下のコンビニで買えばいいし、駅前のマックで買って帰ればいい。買って帰れば、家に着くまでの時間はどのくらいかかるか分かってるし、自分で買って家に着ければ確実に食べれます。
特別な日(自宅でパーリーする日とかもともとが楽しい日)か、準特別な日(土砂降り、寝坊、育児疲れと言ったもともとがとても辛くて便利さを欲してる日)以外には、そんなに使わない。というのが実際のところのような気がします。
そんな特別な日は毎日のようにあるのか?毎日が特別な日という方も中にはいるのでしょう。毎日そんな日ばかりで経済的に成立するか?成立する人もいるのでしょう。
しかし、多数ではないだろうな、と思っています。
ということでまた。
*連載中の記事は延期させて戴きました。
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