エッセイ#13『野生の勘』
RIZIN49のラジャブアリ・シェイドラエフは僕にとって衝撃だった。
格闘技ではよく「野生の勘」と言われる事がある。実際、自分が試合に出た時も無我夢中でいたから、そういう時にでる行動に野生的な要素はあるかもしれない。
シェイドラエフの密着では馬で荒野を走ったり、ワシと遊んだり、大自然をランニングする様子が映され、部屋には自分の成し遂げた功績のメダルのみで他には何もない。僕はそれをスマホで見ているし、彼が馬に乗っている間、おそらく僕はパソコンをいじっている。こんな風にデジタル的では、そういう選手に勝つ事はいつまでも不可能に思えた。それは人が己の身で熊に勝てないのと同じような絶望感だった。もはやシェイドラエフのようなファイターは限りなく動物的で、野獣に近い存在なのかもしれないと。相手にいくら血が出ていようが、顔が腫れていようが、パウンドを、肘を顔面に躊躇なく落とし続けなくてはいけないし、それを淡々と実行していたシェイドラエフが衝撃だった。
そんな話を家族にしたら、父親が「でも大谷はデジタルですごい研究してるんでしょ?」といった。一瞬競技がまったく違うからなと思ったけど、たしかにデジタル的に研究しつくされた「ロボット」であれば熊にも勝てそうな気がするし、なんなら熊の弱点を理解し尽くした人間であればそれもまた勝てるのかもしれない。競技の中で勝つならばルール上で強くなくては行けないし、そこを理解して動く機械的な要素と動物的な要素、結局はバランスなのかもしれない。どちらにせよデジタルを活用しても、侵されるような事はもうやめようと思う。