『走り去るロマン』に賭けた夢 連載15 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~
第5章 デビューアルバム レコーディング編 1974年 ②
<初めての “ゴダイゴ” 構想>
74年6月、ジョニーがタケカワにミッキーの話をした3日後に、帰国したミッキー本人からジョニーの元に電話が来る。その翌日にはジョニーはタケカワと、レビュー・ジャパンのスタッフの加藤悠を連れて、磯子にあるミッキーの実家を訪れた。ジョニーは過去にミッキーと面識があり、旧交を温めるのはもちろんだが、タケカワのデモ録音のアレンジを相談する目的も兼ねていた。持参したデモテープをミッキーに聴かせて、アレンジャー兼キーボーディストとして協力してもらえるよう、約束を取り付けた。
タケカワの話題はこれだけで終わり、ミッキーはボストンで味わったカルチャーショック、アメリカで感じた異民族間のギャップ、その中で感じた自身のアイデンティティ、世界の音楽シーンの状況、音楽ビジネスに対するビジョン、日本で今後やっていきたい音楽…など、堰を切ったように熱っぽく話し続けた。完全に蚊帳の外となっていたタケカワは、呆然としながらミッキーとジョニーの対話を聞くしかなかった。
一方のミッキーは、初めて聴いたタケカワのデモについて、後年こう述懐している。
ミッキーはその熱弁の中で、今までどこにもなかったような新しいバンドを作りたい、と話す。その時点ではまだメンバーは全然決まっていないが、バンド名だけは既に決めてある、とも打ち明けた。ミッキーは「誰かに真似されると困るから、内緒ね」と焦らしながらも、「“ゴダイゴ” って名前なんだ」と、その名前の由来も含めて、ビジョンを語った。
ただし、この時点ではあくまでビジョンを聞かされただけであり、まさか二人がそのバンドを組むとは本人たちもまったく考えていなかった。タケカワは初対面だったミッキーのバンド構想を、まったく他人事として聞いていただけ。ミッキーもタケカワのデモにはポップ感はあるものの、将来の “ゴダイゴ” として目指したい「ハイエナジーなロックバンド」とは違う、と感じていた。その後の二人の変化については後章で詳述したい。
<アレンジの“魔法”>
ミッキーの帰国以降、タケカワのレコーディングも再開する。後のデビューアルバムに収録された曲で、ミッキーがアレンジャーとしてクレジットされているのは「TWO PEOPLE TOGETHER」と「PRETTY WHITE BIRD」の2曲。前者について、ミッキーのアレンジ前の印象はこうだった。
一度、ミッキーに譜面を渡して演奏に加わってもらったものの、思い描くような感じが出ない。タケカワは「そうじゃないんだけど」と言って、自分でちょっと弾いてみたところ、ミッキーは「ああ、わかったわかった」とその場に居合わせたプレイヤーたちを呼び寄せた。
「TWO PEOPLE TOGETHER」はホーンセクションとオルガンを加えることで、4月録音時点のデモテイクから一気に躍動感のあるものに生まれ変わった。さらに劇的な変化を見せたのが「PRETTY WHITE BIRD」。デモ制作過程ではバンド演奏のテイク(映画『バージンブルース』BGMに転用している)も録っていたものを、ミッキーのエレピだけのバッキングに変更。タケカワの情感溢れるヴォーカルと相まって、名作バラードとなった。
余談だが、ミッキーが2021年12月に自らの古希を記念したセルフトリビュートアルバム『Keep On Kickin’ It』を発表した際、ピアノとヴォーカルだけの “ガンダーラ feat. タケカワユキヒデ” について、こう語っている。
<アルバム収録曲が完成>
夏になり、レコーディングも佳境を迎えた。各曲のアレンジの詰めと同時進行で、ヴォーカルの録音も進めていった。歌メロの譜割りを確定させる過程で、仮歌にはレビュー・ジャパンの契約作家だった作曲家の小田裕一郎も参加。タケカワの英語の発音は、改めて奈良橋がチェックを入れている。
タケカワは高校生時代から、英語の発音記号を辞書で徹底的に覚えて、発音には自信を持っていた。特に、ビートルズへの憧れからイギリス英語の発音が身についていた。これは中学時代から、ビートルズのレコードを何度も聴きながら一緒に歌い、「自分の音程と発音がズレていたら、ビートルズ側の声が聞こえてくるから、完全にビートルズの発音や歌い方の真似をして一致させる」訓練を続けた成果だった。だが、MCAを通してアメリカの音楽マーケットへの売り出しを狙って、ジョニーと奈良橋の二人によってアメリカ英語の発音へと徹底的に直されたという。ひとつの例として、「NIGHT TIME」にある "children" の、"ren" の発音記号は曖昧母音が絡んだ [rən] であり、「ラン」と聞こえるのはレコーディング時に発音を指導された名残だという。
演奏に参加したミュージシャンもバラエティに富んでいる。直居隆雄、松木恒秀(ギター)、岡沢章、江藤勲(ベース)、村上ポンタ、岡山和義(ドラムス)、深町純、飯吉肇(キーボード)、斉藤不二雄(ラテンパーカッション)といったスタジオミュージシャン。「WATER SHE WORE」と「TWO PEOPLE TOGETHER」では同じレビュー・ジャパン所属のバンド、“トランザム” から石間秀樹(ギター)、後藤次利(ベース)、チト河内(ドラムス)、篠原信彦(キーボード)。カントリー調の「NOW AND FOREVER」は、高校時代のタケカワを見出してデモテープ制作等で協力してきた石川鷹彦が、アコースティックギターの演奏とアレンジを担当。ミッキー吉野はアレンジだけでなく全5曲の演奏にも参加。そしてタケカワ自身も3曲でキーボードをプレイしている。
アルバム全体の仕上がりとしては、贅沢に生ストリングスをフィーチュアした、モダンさを追求したサウンドが特徴。レコードが発売された後に、タケカワが父親の寛海にアルバムを聴かせてみたら、クラシック志向の寛海は「イントロの弦楽が良い」という理由で「LUCKY JOE」を評価した、とタケカワは当時を振り返る。
アルバムとしての選曲、曲順はジョニー野村が決定したという。アルバム収録の12曲のうち、最も古い楽曲は高校2年生の時、授業中に夢中でノートに書いた「PRETTY WHITE(LITTLE)BIRD」。最新の楽曲は奈良橋陽子が詞を提供した「TWO PEOPLE TOGETHER」。16歳から21歳までの約5年間で、100曲以上書いた中からのベストと言ってよいだろう。タケカワはこのアルバムを評して「『走り去るロマン』には、たくさんの宝物が詰まっている」と語っている。
※上のプレビューリンクは79年再々販盤の収録内容に準ずるため、「HAPPINESS(ぼくらの幸せ)」のみ別バージョンを収録。
※本文中に登場する人物は、すべて敬称略にて表記しております。ご了承ください
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