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『走り去るロマン』に賭けた夢 ~ディスクガイド vol.2

2025年1月1日。
タケカワユキヒデ レコードデビュー50周年記念日!

<アルバム『走り去るロマン』収録曲 シングルカット盤>

「走り去るロマン(PASSING PICTURES)/夜の都会(NIGHT TIME)」

[7 in.]日本コロムビア/YK-2-AX/1975.1.1/¥600

アルバムに先駆けて75年1月1日にリリースされた、タケカワにとって正真正銘のレコードデビューとなったシングル。

A・B面共にアルバム収録のバージョンと全く同じ音源を収録。アルバム初期盤のジャケットに日本語タイトル、アーティスト名を被せたデザインとなっている。アルバム初期盤はタケカワのクレームによりジャケット修正がなされたが(ディスクガイドvol.1参照)、シングルの方は修正版を出すこともなかった。2曲の作詞は奈良橋陽子によるが、レーベル面にクレジットされていない。

通常盤(上段)と見本盤(下段)のレーベル面。筆者所有の盤のマトリクス、マザー、スタンパーは、通常盤・見本盤ともにA面…2A1、B面…1A2。

市販された通常盤はオレンジ色のCOLUMBIAレーベルだが、プロモーション用に流通していた見本盤のレーベルはえんじ色となっている。

ジャケット裏面に記載された、タケカワのプロフィールは以下の通りとなっている。

いま海外からも注目を浴びている、今年21才になる(筆者註:74年10月の誕生日の時点で22歳になっている)新しいタイプのポップ・シンガー。ビートルズで育った年代だけあって、全て英語で歌を作り、その曲にたいする感覚、曲の内容は一歩もアメリカ、イギリスのものにひけをとらない。
タケカワは父がクラシック評論の武川寛海、母も鈴木ヴァイオリンの息女といったクラシック音楽の環境の中で育ち、小学校入学前にすでにヴァイオリンを習ってたという。
中学入学後は、ギター、ベースを弾きはじめポップスに興味を持つようになり、高校入学後バンドを作り活動している。横浜国大に入学、その後東京外大に再入学し、その間、バンド活動、 作曲活動で一躍注目される様になった。

タケカワは高校2年生の頃から、自作の英語詞ポップス曲を作曲するようになったが、彼が自ら作詞した英語詞は「押韻」にこだわり過ぎたため、本来の英語の文法やレトリック(修辞技法)を度外視しがちだった。そのため73年にタケカワが音楽出版社 “レビュー・ジャパン” と作家契約を結んだ後、既存の自作曲の英語詞をリライトする必要に迫られた。そのリライト担当が、レビュー・ジャパンの副支社長であるジョニー野村の妻、野村(奈良橋)陽子。このリライト作業はお互いの “英語観” の相違から難航する。タケカワの既存曲のいくつかは全面的にリライトされてデビューアルバムに収録されたものもあれば、逆にリライトが煮詰まり過ぎて不採用に終わったものもあった。その過程で、抜本的な解決策として「奈良橋が一から新しく書いた英語詞に、タケカワがメロディを付ける」手順へと移行する。

だからそういう意味でこれはすごく新しかったのよ。僕にとっても新しかったし、もちろんみんなにとっても、プロデューサーにとっても、奈良橋さんにとっても、ひとりだけで全部作ってきたものと違って、別の人のテイストがあってそれに曲を付けているんで、すごい新鮮な感じがしたんだよね。それで、これがシングルという事になったんだと思うんだ。いまだに変わった曲だなと思うのね。新しい世界に入って行くキッカケになった曲なので、いまだに好きですね。モダンですよね。それが 【走り去るロマン】ですね。

タケカワユキヒデ・ファンクラブ会報『T-time』vol.30 P.3/2002 アメニティ

奈良橋とタケカワ、二人のコラボレーションの第一作がこの「PASSING PICTURES」である。タケカワはまだレコードデビュー前であり、一方の奈良橋も自作の詞がレコード化されたのはフラワー・トラヴェリン・バンド、石川セリなど10曲程度であり、お互いが新鋭作家のコンビだった。奈良橋は新規・リライト・補作詞を合わせ、タケカワのデビューアルバム収録12曲の作詞を担当。そして後年に結成されたバンド、“ゴダイゴ” のソングライターコンビとして「作詞:奈良橋陽子/作曲:タケカワユキヒデ」のパターンが定着することになる。

「走り去るロマン」は日本人シンガーソングライターながら、日本コロムビア洋楽部からリリース。“異色の邦人歌手” として、デビュー前後に紙媒体でのプロモーションが展開されるも、チャート誌のベスト100、ベスト200にランクインすることはなかった。同シングルの流通量は(筆者のコレクターとしての体感だが)かなり少なかったものと推測する。


「いつもふたり(NOW AND FOREVER)/白い小鳥(PRETTY WHITE BIRD)」

[7 in.]日本コロムビア/YK-9-AX/1975.4.1/¥600

デビューリサイタルの関西・九州ツアー後、75年4月1日にリリースされた2ndシングル。

通常盤(上段)と見本盤(下段)のレーベル面。筆者所有の盤のマトリクス、マザー、スタンパーは、通常盤:A・B面共に1A2、見本盤:A・B面共に1A1。通常盤が射出成形、見本盤が圧縮成形とプレス方法が異なっている。

アルバムからのシングルカットにつき、2曲共にアルバム収録版と同じバージョン。デビューシングルとの大きな違いを挙げれば、「PASSING PICTURES」「NIGHT TIME」がタケカワ自身によるアレンジの曲に対して、「NOW AND FOREVER」「PRETTY WHITE BIRD」はタケカワ以外のアレンジャー(それぞれ石川鷹彦、ミッキー吉野)の楽曲を収録したのは偶然だろうか? アルバムのリリース前に、レビュー・ジャパンが収録曲の音源を各国のMCA支社に送った際、カントリーミュージックの盛んなテネシー州ナッシュビルの支社から「NOW AND FOREVER」への引き合いがあったことも、2ndシングルに選曲された理由ではないか、とタケカワは述懐している。

17歳の時に書いた曲。ボブディランの雰囲気を借りて作ったのだと思う。 歌い方がそれっぽい。
(中略)それは、アルバム発売前だったと思う。 そこのプロデューサーが、 僕のアルバムを世界中にあるその会社の支社に送ってくれたのだった。「この中の曲に興味があったら、 使ってくれないか」という意味の売り込みだった。
そして、返事があった。カントリー&ウエスタンのメッカとして有名なナッシュビルの支社から、「この曲に興味がある」といってきたのだ。「NOW AND FOREVER」だった。

結局、ナッシュビルでこの曲が録音されることはなかったが、あの当時、ナッシュビルの音楽関係者に興味を持たせたということだけで、僕はこの曲を誇りに思っている。

タケカワユキヒデ・ファンクラブ会報『T-time』vol.42 P.11/2005 アメニティ

ジャケ裏に記載の解説文。同年3月からのコンサートツアー(デビューリサイタル)にも触れている。

「走り去るロマン」のLPとシングル発売以来人気急上昇のタケカワ。3月からは元ゴールデン・カップスのミッキー吉野が彼のバックバンドに参加し、そのコンサート活動がいま話題を呼んでいる。このシングルはLP「走り去るロマン」から2枚目のカット。

なお、ジャケ写の男児はジョニー野村と奈良橋陽子の長男で、当時2歳のジェニカ(日本名:祐人)。現在は俳優、映画プロデューサーとして活躍する野村祐人である。

シングル発売前のフライヤーには、B面曲として「雨に踊る少女」(WATER SHE WORE)と記載していた。



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