物々交換は頻繁にやらないけど、贈り物は頻繁にやるよね?〜MMTを理解してもらうには〜
炎上というのがあります。例えば撮り鉄の迷惑行為はすぐにネット上で炎上します。自分で晒してなくても第三者による目撃談や写真、動画が拡散されていきます。その一方で同じくらいの迷惑行為が起きてるのに炎上しないケースがあります。一例として魚釣りがあります。私、趣味がバス釣りなので釣りにおける迷惑行為やモラル、マナー違反などはそれなりに見たり聞いたりします。釣り場におけるケンカや恫喝、違法及び迷惑駐車、立入禁止区画の侵入、ゴミのポイ捨て等々…正直、撮り鉄の迷惑行為に並ぶような行為が釣りにもある上に、特に立入禁止の堤防への侵入や釣り桟橋の無許可の設置などはメディアで報道されたりもするのに、なぜネット上で大きく炎上しないのだろう?と不思議に思ったことがあります。そこで分かったこととして…
その行為が自分にも及ぶ可能性があるかどうか?
がキモになるのでは?と考えました。撮り鉄の迷惑行為が起こる場所は駅や鉄道といった多くの人が利用するインフラです。彼らの行為はその日常に入り込んできているため非常に目が付くし、起きた出来事が自分ごとのように感じることができます。対して釣りは違います。起きるトラブルは釣り人同士か第三者に及んでも関係者のみという閉じられた世界です。例え釣り場が公園等の中にあったとしても一般の利用者で水際まで行く人はほぼいません。例え目に映っていてもそれは景色の一部と化していて、見てるようで見てません。ましてやトラブルも頻発するわけではないので余計に一般の方の目に留まりません。このように閉じた世界では炎上が起こりにくく、一般人の領域と重なると炎上が起きやすくなると考えます。ちなみに私をこの考えを勝手に「重なり理論」と呼んでいます(笑)
前置きが長くなってしまいましたが、この重なり理論の考えは…
MMTや積極財政の議論にも当てはまるのではと考えます!
というのも、MMTや積極財政の考え、論理を何も知らない一般の方にそのまま説明してもピンとは来ません。対して、緊縮の考えは日常と「重なる」論理を展開します。国の借金ガー、財政の無駄遣い等々は日常の言説とリンクします。ならば、我々も日常と「重なる」論理を展開しなければ下手をすると、MMTや積極財政の議論が閉じた世界になってしまいます。どうすれば良いのでしょうか?色々方法はあると思いますが、私はタイトルにもあるように「贈り物」をキーワードに説明する案を提唱します。例えばです…
「今の経済学というのは物々交換がベースになってて、物々交換の不便からお金が生まれたと言っている。なので、お金を使った今の取引も結局、物々交換の拡張や応用でしかないって考えなんだよ。」
「だったら物々交換の名残くらい残っててもおかしくないのに、物々交換なんてほとんどやった事なくない?」
「対してMMTは経済の始まりを物々交換に求めておらず、お金は貸し借りを記録したものから始まってると言っている。」
「記録する前は贈り物を贈りあったり借りパクしたりしていたけど、集団の規模が大きくなるとそういうわけにいかなくなり記録するようになった。」
「物々交換はしないけど、今でも土産とかで贈り物を贈り合うよね?それが物々交換だ!って言う人いるかもしれけど、自分の贈ったモノと渡されたモノが同じ価値かどうか?なんて考える人いないよね?むしろ借りを返すというか、お返ししなきゃ!って考えだよね。そこが物々交換と決定的に違う所だよ。」
「滅多にやらない物々交換が元になってる経済学と今でもやってる贈り物文化が元になってるMMTと比較して…」
「どっちが正しいと感じる?」
というように贈り物という現代でも行われてる行為を例に挙げて説明すると、日常にマッチしてくるため理解しやすくなるのではと考えます。
他にも色んなモノで例える事は可能だと思います。何かの参考になれば幸いです。最後まで読んで頂きありがとうございます😊
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