悪役令嬢はシングルマザーになりました (55) 前世
「えっと、あのね。私は前世、地球という星の日本という国で暮らしていたの」
「うん」
フレデリックは相槌を打ちながら真面目な顔で聞いてくれる。
それに励まされて、エステルは前世日本での人生を語り出した。
しかし、そこには当然NGワードが含まれる。
「夫・・・?君には夫がいたのか?」
フレデリックの顔が不機嫌に歪む。
「う、うん。あの、お見合いでね。とてもいい人で、彼のおかげで穏やかな人生を送ることが出来たのよ」
彼の顔は益々不機嫌になり、エステルはどうしたらいいのか分からなくなった。
彼女の顔を見てフレデリックは気が咎めたようだ。
「ごめん・・・君が悪い訳じゃない。でも、君は年上で頼りになる昔の旦那さんとの思い出が沢山あるんだろう?僕なんか・・・とても敵わない気がするよ」
「そ、そんなことない!前世ではこんな風に誰かに惹かれることはなかった。触られてドキドキする経験もなかった。私は、この世界であなたに出会えて、初めて恋する気持ちを知ったのよ!」
エステルの必死の叫びにフレデリックの顔が若干穏やかになった。しかし・・・
「じゃあ、君は旦那さんに触られても以前はドキドキしなかったの?・・・ごめん。こんなことをグチグチ言うのは本当に情けないんだけど、君が他の誰かのものだったって考えるだけで・・うっ、胸が苦しい・・・」
青褪めたフレデリックがよろめいた。
「ち、ちがうわ!夫には生涯他に好きな人がいたの。彼は亡くなった奥様のことをずっと忘れられなかった。私は事情があってどうしても結婚しなきゃいけなかったの。彼は結婚するつもりなんてなかったのに私に同情して結婚してくれたのよ。だから、私たちの関係はずっと兄と妹みたいなものだったの」
「事情・・・?」
「私は働いていたけど三十過ぎまで実家で暮らしていたの。でも、両親が相次いで亡くなって・・・。弟が結婚して家を継ぐことになったので、私は家を出ようとしたのよ。でも弟が・・・『世間から姉を追い出したと思われるのは辛い』って。でも、新婚さんの家庭に小姑がいるなんて最悪でしょ?結婚して家を出るなら世間体も悪くないかなって・・。そういう時代だったのよ。それで何度もお見合いをしたんだけど、なかなか話がまとまらなくて困っている時に彼に会ったの。彼は私の事情を知って結婚してくれたの」
「でも・・・妻を愛せないのに結婚するなんて無責任じゃないか?」
「私もっ・・・私も、彼に恋していたとは言えないからおあいこなの」
「君も恋していなかった?」
「今みたいな気持ちを感じたことは一度もなかったわ。それに・・・・」
「それに?」
(これだけは誰にも言いたくなかった)
エステルの顔が徐々に俯いていく。思い出すだけでだんだん気持ちが下向きになってしまう。
彼女の瞳に涙が滲んだ。
驚いたフレデリックはエステルの前に膝をついて下から彼女を見上げた。
「エステル・・・?大丈夫かい?無理して話す必要はないよ」
「ううん!」
必死で首を振りながらも、膝の上にある手が少し震えている。
こんな弱い自分なんて見せたくないと唇を噛みしめる。
「あ、あのね・・・これは前世でも誰にも言ったことがなかったんだけど、私はね・・・死ぬまで処女だったの。それにキスもしたことなかったわ」
フレデリックの口があんぐりと開いた。
「・・・・・・・え?」
エステルは言い訳をするように早口で捲し立てた。
「あのね。私も確かに多少の好奇心はあったけど、どうしてもしてみたいってほどじゃなかったの。だから、全然平気なのよ。でも、ほら、結婚しているのに、そういうこと一度もしたことがありませんって言うとやっぱり変な顔されるでしょ?だから、内緒にしてただけで、私は全然気にしてないの!」
息を荒くして喋りまくるエステル。フレデリックは両手でエステルの手を握りしめた。
「エステル。大丈夫だ。僕は君たちの関係を決めつけたりしない。ただ、ちょっと驚いただけだ」
「も、もちろん、前世の私に魅力がなかったから・・・」
「エステル。君に魅力がなかった、なんてあり得ない。僕は君の容姿に惹かれた訳じゃない。君の優しさや誠実さや真面目さは今と変わらないんだろう?君の魅力に屈しなかった君の旦那さんは大したものだったと思うよ」
冗談っぽい、でも温かい言葉にエステルの涙腺が決壊した。
「・・・・・っ、ひくっ、ひっ、夫はっ、私のことを大切にしてくれたっ、と思うの。でも、い、いもうとみたいにしか思えないって・・・」
「僕にとっては僥倖だ。僕が君の記憶の中で最初の恋人になれるってことだよね?」
ポロポロと頬を濡らす涙と一緒に胸につかえていたものが流されて消えていく。
気がつくとフレデリックに抱えられて、彼の腕の中でエステルは号泣していた。
頬を濡らす涙が次々とフレデリックの胸元に沁み込んでいく。
「ど・・どうして私のことなんか好きなの?だって、子供の頃に助けられたって言っても、そんなの誰でもすることでしょ?他にも私は普通のことしかしてない。あなたに好いてもらえるような特別なことをしたことがないし、取り柄だってない・・・。六歳も年上だし。やっぱりもっと若い子の方がいいって・・・いつかあなたに飽きられちゃうんじゃないかって・・・怖いの」
いつも漠然と感じていた不安も涙と一緒に漏れ出した。
(・・・こんな風にぐずって・・・子供みたいだ)
エステルは自分の情けなさを痛感するが、フレデリックは可愛くて仕方がないという表情で彼女の頭を撫で続ける。
「君はさ、破落戸をやっつけて、お店を一人で切り盛りして、双子を立派に育てて、周囲の人のことを思いやって・・・。それが全部普通のことだと思うの?」
エステルが頷くとフレデリックは嬉しそうに笑った。
「そういうところだよ。全然普通じゃないことを、普通だって言える君に僕は恋したんだ。飽きるなんてとんでもない。君だから僕は恋をした。それは何があっても変わらないよ」
フレデリックは喜びを隠さない笑顔で強い抱擁をすると、再びエステルの唇にキスをした。今度は最初から舌を絡ませるような濃厚な口づけだ。
慣れないエステルをあやすように時折フレデリックの舌が彼女の舌を擽る。
(あ・・・・気持ちいい。すごく、私を好きだって伝えてくれているのを感じる。キスって・・・こんなに甘いんだ)
エステルは初めてする深い口づけの快感に酔い、眩暈を感じながらフレデリックの逞しい腕に身を委ねたのだった。
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悪役令嬢はシングルマザーになりました (56) 処罰|北里のえ (note.com)
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