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班分けで学級経営の芯がわかると思うおいらです

とうとう娘が修学旅行に行く年齢になった。
僕は修学旅行や林間の班分けでその先生の芯がわかると思っている。
結論から言うと,そこに子供の望む「自由」があってはいけないというのが自分の考えである。だから,ほかの先生が高学年を担任していて「子供に任せ」たり「すきなもんどうし」で班を決めたりしていると,すごく残念な気分になる。
言える子に流されているというか,制御できてないというか,見なきゃいけないのはそこじゃないだろうというか。もやもや。

修学旅行は一生に一回しかない。
それはどの子にとっても同じで,クラスの誰かが「一生に一回なんだから最高の思い出を作るぞ」って思っていたらそれを全力でサポートしてあげたいと思うのだ。
だから「全員が同じ気持ちで行けるように」という声かけをよくする。同じように「楽しかった」「行ってよかった」と思ってほしいじゃないか。
そのためには,クラスに今ある...安心は尊重され,不安は解消されるべきである。そして,みんなが不満を少しこらえる。等しくだ。ここが難しいというか,この部分について考えてないんじゃないかという例をこれまでたくさん見てきたからこんなことを書いている。

修学旅行は宿泊だから部屋割りがある。
一部屋何人とか,決められた割り当て通りにクラスに人数を割らなきゃいけない。
クラスで「どうやって分けたい?」と聞く。これまで受けもった6年生の8割超が「自由!」と即答する。春だし。まだ僕の学級経営の芯が行きわたっていない。たぶん他所でもそうじゃないかな。でも,その自由って言っているメンバーをよく見てほしいんだ。

自由って声高らかに言える子は,「言える子」なんだ。
さみしい思いをする子がいないようにさそって「あげる」し,って気を回す子もいるだろう。(この「あげる」感がやだってのもあるw)
自分の望む自由のため。

その子たちは...
誘われるのを待つ子がどんな気持ちか,想像したことがあるのかな。
何も言わずに黙っている子はどうしてだまっているのか,考えたことはあるのかな。

言えないから黙っている子もいるだろうし,言うのが無粋だから言わない子がいるかもしれない。自分に自信がないから言えないのかもね。根回しが足りていなかったのかもしれない。(根回しなどさせないように僕はいきなり決め始めますが)

誰かが自由って言った時点で,傷ついている子がいるっていうところにまでイメージを沸かせて学級経営していますかってこと。
僕は,春なので言わせて学ばせる手法をよく使いますが。ごめんよと思いながら。

自由と言われた瞬間,僕は大体いつもこのように切り返す。
先生から示すのは3つだけです。この3つだけは守ってね。
①全員が同じ気持ちで行ける修学旅行にすること
②さみしい思いをする子を作ってはいけないよ
③10分で決めてね

「できるできる」と意気揚々と答えた子供たちは〇人部屋の人数に見合った仲間を集めたとたん,座ってしまう。
この時点で①②に抵触。残されたメンバーが時間オーバーで③に抵触。
そして長い時間をかけて,どこが間違っていたかを考えていくのだ。

自分にとっての自由は誰かにとっての不自由であったことを知る。
誘う勇気がない子だっているんだってことを知る。
その子たちは文句も言わない。それに甘えてはいけないということを知る。
いわゆる陽キャ1軍の子たちは,今年は思い通りにならないぞということを身をもって知る。誘う勇気がない子,妥協の末誘われた子たちが,安心して息ができる環境を,僕は作りたいんだという担任からのメッセージを,時間をかけて落とし込んでいくのだ。
誰かが100点の思いをすると,その裏に20点や30点の思いをする子がいるかもしれない。20点や30点でも我慢できる子に甘えてはいけない。
その子たちは,本当は我慢できるのではない。誰かが我慢させているのだ。
僕はそういった子の存在に気づきながら,平気で自分の得点を高められる子になってほしくはないのである。子供たちに言うのは「心のブレーキを踏め」。
なかセん学級のモットーは「全員が80点」。みんながそれぞれ20点ずつ我慢を持ち寄れ,と。その80点を100点に高められるようにサポートしていくし,みんなで高めていこうよと。
この話,若いころは2時間以上かかったこともあったなぁ。


ぼくのクラスは結局,くじ引きで決める。それは決定事項だけど,あえて泳がせる方法を取る。
そこには学びがいっぱいあると思っているから。


そしてその中でのベストを尽くすことで「楽しい」を感じられる子に育てていく。それしかないと思ってますねん。

つづくかもね

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