恋を取るのか、お腹を取るのか。
「私はお腹が弱い。」
これは、朝井リョウさんのエッセイの冒頭の一節であるが、大大大ファンである私も負けず劣らずお腹が弱いのだ。
そんな私の、「韓国の乱」と「中国の乱」をお話ししたい。
初めて外国に行った私は、独特な雰囲気に浮かれまくってチーズダッカルビだかトッポギだかわからないが、いかにも韓国っぽいものを片っ端からむさぼった。
「この辛さがうまいんだよなあ」
辛い辛いとヒーヒー言っている友人を尻目に、厨二病を引きずった私は辛いものもイケるアピールをかましていた。もちろん、辛いものは得意じゃない。そんなことは重々承知だ。だけど辛いものを平気で食べる人ってかっこいいじゃないですか。余裕ある感じで。男子ってのは、いつまでたっても人と違うことにあこがれてしまうのだ。
すごいすごい、とビールとマッコリでぐでんぐでんになった友人に囃し立てられた私は、自分のお腹を犠牲にしてその日のヒーローになった。
だが、忘れてはいけない。ウルトラマンだって仮面ライダーだって、ヒーローの変身にはタイムリミットがあることを。
深夜に活気を帯びる東大門の喧騒を後にし、ホテルに着く頃には、私のお尻は火を吹いていた。そう、もはや痛いどころではなく熱いのである。
ガンガンガンと響くお尻に、ヒーローは戦意を失い、うんこまんへと変身するしかなかった。
目覚めは最悪だった。強烈な便意に叩き起こされた私は、バイトに寝坊した朝より素早くベットからロケットスタートを切りトイレに飛び込んだ。
当然、観光などできるわけもなく、この日のメインイベントである路上美術館などそっちのけで、私はお尻を押さえてトイレを探し回る妖怪と化してしまったのだ。
壁画を見てもトイレ、雑貨屋に行ってもトイレ、という始末だ。
その妖怪の末路についてだが、結果から言うと、おしゃれの代名詞スターバックスのトイレで、私は脱糞した。
死に物狂いでスタバのトイレにたどり着いたものの、そこで出迎えてくれたのは、猛烈な便意と戦い抜いた私を讃えるピカピカの便座ではなく、詰まりに詰まって便の浮かんだ、あのスタバとは思えない忌々しいトイレだった。
「あっ。」
戦いは終わった。私は負けたのだ。
ブツを洗い流し、ノーパンでトイレを出る私はなんて悲しい生き物だろう。初めての海外で、大学生にもなった私が、おもらしをするなんて。
スタバの店員にとって、人生で最も情けない顔をしたジャパニーズはあの日の私だろう。
覚えておいてほしい。韓国のトイレはトイレットペーパーが流せないので、誤って詰まらせる観光客が多いことを。いや、その前にカッコつけてキムチ爆食してもいいことないよ。
***
さて、時を戻そう。汚い話が続いたので、ここからは甘酸っぱい話をお届けしたい。
「モウデキルデ。」
キッチンから聞こえるたとたどしい関西弁に、私はどきどきを悟られないよう生返事をした。
便を粗相したにもかかわらず、女の子の部屋に行き手料理をご馳走してもらうという幸せの絶頂にいるのだ、人生何があるかわからない。
彼女は黒縁めがねにいつもパーカーを着ている中国人留学生のラオちゃん。服装には気を使っていないが、可愛らしい笑顔が印象的な子だ。
ラオちゃんとは、履修している学生のうち半分も出席していないような講義で知り合い、カフェ、飲み会と段階を踏んで、ついには部屋にお呼ばれするところまで漕ぎ着けた。
はっきり言って私はラオちゃんが気になっている。
「終わりにしよ。」と前の彼女に1ミリの迷いもなくこっぴどく振られてしまってから、私は恋愛に縁がなかった。そういう意味では今日がとても大事な日だ。異性として意識してもらうため、普段つけない香水を振りまいて勝負に来ている。
***
私は同志社大学英文学科の学生だ。
別に英文にこだわりがあったわけではない。法学部もスポ健も受けた。その中で英文に進んだのは何となくかっこよかったからだ。モテそうな雰囲気がするし。
お分かりの通り100%の下心だ。SNSで見ず知らずの女の子とどうにかなろうとしている高校生諸君。そんなことより勉強していい感じの大学に行きなさい。
私はもともとイギリス文学も演劇にも全く興味はなかった。だが、せっかく進学するのだ、せめて英語くらいは喋れるようになってやろう。
そんな薄っぺらい大志を抱き、センター英語180点を引っ提げて私は島根から京都、同志社へ乗り込んだのだ。
だが、そこに過去完了や分詞構文はなかった。
彼らはみな感覚で英語をしゃべっていたのだ。
「いやーなんとなく?」「ネイティブの友達が使ってるし。」「留学先で勉強したから。」ちょっと待ってくれー!シスタンは?ネクステージは?みんななんで入学したばっかりでそんなぺらぺらなんだ。
机にかじりついて丸暗記が私の英語学習のスタイルだ。トロントにホームステイしたことも、ジェニーなんて友達もいない。
講義初日にして、田舎の中堅校で伸びきった鼻はボッキボキに折られてしまった。
だからこそだ、ラオちゃんとの出会いはグニャグニャなった鼻をもう一度伸ばすチャンスでもある。彼女は中国語と英語に加えて日本語とスペイン語まで話せるスーパーマンなのだ。仲良くなったら自然と英語話せるようになんじゃない?ぐへへ、と妄想を膨らませて彼女の作る麻婆豆腐を待っていた。
小さなベージュの机には、ことわざの空欄を埋める系の問題が開かれている。体の一部の単語を埋める系のようだが、さすがラオちゃんほとんど正解している。だが、いくつか誤りもあった。
・子供のけんかに親が(尻)を出すのはよくない。
・事故の知らせを聞いて、(首)を抜かした。
なんて可愛いのだ。ついつい頬が緩んでしまう。
そんなこんなで、麻婆豆腐と私が差し入れしたほろよいが食卓に並んだ。
少し赤々としすぎている気はするが、いい匂いで食欲がそそられる。というか、気になっている子の料理が食べられるなんて普通に嬉しい。世の中にはこの幸せを享受できる男子がいくらいるのか。
スプーンを取り、いただきます、と世界に感謝した瞬間、「マッテクダサイ」と女神に制止された。何事かと顔を上げると、“赤すぎてもはや黒い”液体の入った瓶がラオちゃんの手に握られていた。中国語が所狭しと書かれていて何も読み取ることはできないが、でかでかとドクロマークが鎮座しているではないか。どう考えてもあれは辛い。食べちゃいけない。ドクロマークなんてヤンキーか辛いものにしか使われないのだ。
絶対にかけないでほしい。「中国人の作る麻婆豆腐」の時点で、正直きつそうなのだ。そこに“もはや黒”の液体がかかってしまったら、無事に帰れるわけがない。
そんな願いもつゆ知らず、ラオちゃんはこれでもかと、麻婆豆腐にドバドバとかけてしまった。
「コレデジュンビバンタン。」
そんな熟語も使えるんだね。すごい。でもこっちの準備は万端じゃなくなったよ〜!
食べる前から嫌な汗が噴き出してきた。
もう2度と脱糞事件は起こしたくない。絶対に食べるべきではない。
でも今更、辛いもの苦手なんだよね〜。は、通用するわけがない。それを言うタイミングは100万回くらいあったのだ。
一口頬張ったラオちゃんがこっちを見ている。逃れられない。
私は死を悟り、ドクロを口に入れた。
食べた瞬間に舌が痺れて、胃がごろごろと泣き出す。
「うまい、、。」
大汗をかき、涙目で、震える声を絞り出した。
結局ラオちゃんとは結ばれなかったし、ほとんど連絡もとっていない。
元気ですか?今でもドクロのビン持ってますか?
僕は今日もしっかりと生きていますよ。
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