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カミュ『ペスト』を読んだパンダちゃんの感想

コロナ期にめちゃ売れていましたね
この本は『ペスト』です
アルベール・カミュの作で、アルジェリアのオラン市で黒死病が伝染しいわゆるロックダウンが起こったという物語です

この出来事自体はカミュの創作で、一般の解釈では「ペスト」=ナチスドイツの侵略の喩えであるといわれています

パンダちゃんが読んだのは晦渋な宮崎嶺雄訳でした  450ぺーじくらいありました

中退した某大学のサークル棟の本棚からパクってきた本のうちのひとつで、チマチマよみました。
でもさいごはハマって200ページくらい一気読みしました
この本は吸引力えぐいです  ダイソンです


すげえところ①

「これも言っておかねばならぬが、ペストは全ての者から、恋愛と、さらに友情の能力さえも奪ってしまった。なぜなら、愛は幾らかの未来を要求するものであり、しかも我々にとってはもはや刻々の瞬間にしか存在しなかったからである」        

                                                        p.269

この文すごく心に沁みました。記憶の温かみからも未来の光輝からもへだてられて
今をしか   現在をしか生きられぬ人の
  孤独
  淋しさ
  枯渇
を端的に示した魅力あふれる文です。

「ペスト」という小説の魅力はこのへんに源流を持っとると思います。
やなやつに囲まれた出口のない苦境のなかでの      
「「「連帯」」」
、それが主題として通底しています
しかしラブ・ロマンスに堕してしまう凡俗な心をここがある程度抑制しているんじゃないでしょうか。
ここに甘ーいカオスが生まれています。恋愛だの友情だの義務だのの描くマーブル模様のカオスは、その「連帯」なるものの実相をとりまいてグルグルするのです

どうじに愛の一側面もまたこの文に出ているとおもいます。
「このひととずっと一緒にいられたら」
「あしたも幸せでいられたら」
「こんど水族館いこうよ!」
愛はこんなふうに、未来を人質にしていることが多いです。

それも、その「未来」の確実性をとくにたしかめておくわけでもなく人質にするのだから愛は不安定です。
コロナや、そしてもちろんペストや戦乱によって未来というものが無根拠な明るさを失えば、もう愛どころじゃないのかもしれません。

コロナの時もよく感じました。
前例がなさすぎて、「現在」に監禁される感覚。
みなさんも感じたんじゃないですか?
その閉塞感、
その不満足感、
そのもどかしすぎる感じ。


すげえところ②

「彼は自分がペストにかかることがありうるとは本気で考えていないのである。彼はこういう考えーーーそれも案外ばかにならない考え方であるが、何かの大病あるいは深刻な煩悶に悩まされている人間は、それと一緒に他のあらゆる病気あるいは煩悶を免除されるという考えに基づいて生活しているように見える。【あなたはこういうことに気がついたことがありますか。人間はいろんな病気をかけもちすることはできないんですよ】と彼は言った」

                                                   p.285

これすごい文じゃないですか。
心あたりがありすぎませんか。
内面から湧き出でる苦悩については、人は一つの色の苦しみしか味わうことができない、めっちゃ真理っぽいです。どう言い換えても真理っぽい。

これは救いでしょうか?人間が破滅できないようにこういう性質を持つとするなば。
それともダメなことでしょうか。

ダメなことでもあると思います、、、一つの苦悩、一つの問題に向かって突き進むことは破滅以外になにを得るでしょうか?


すげえところ③(ネタバレ)


最後のすげえところは、チェンソーマンの一部くらい登場人物が死んでいくところ。

グランを除いて、主人公リウーを除いて、多くの仲間たちが死んでいきます。
めちゃ感情移入して読んだので、「連帯」を共にした仲間、タルーたちが死んでいく様子は自分の身体が削られていくような気分でした。

しかし実際にあることなんだと思います。厄災の残酷さが、この作品ではめちゃリアルに描き出されています



最後に


「五月の朝まだき、一人の女騎士がブーローニュの森へ消えていった。」

↑登場人物である老吏グランが何度も書き直している、かれの小説の冒頭です。
最終的におそらくこんなかんじでしょう。
(明言されていませんが、「修飾語は全て省いた」とだけ書かれています)

その女騎士とは????

「五月」であることからなど、様々な解釈ができましょうが、私は黙示録の四騎士を思いました。

時に死神の鎌をもったドクロがそれらの中に描かれるのを思って、
ペスト、ひいては厄災の象徴かなと思いました。

厄災は駆けていくのです。駆けてきて、その大鎌で幾人も殺して、また駆けていくのです。
おそらく、ほかの街の誰かを殺しに。


この登場人物グランはよく言及され、「一文にかかずろうて何もできない創作者の成れの果ての姿」の代名詞となることもありますが、なに、それもまた崇高な姿だし、なによりグランの書いたこの一文は最高だろうが、と言いたいです。

俳句レベルでパッと情景が浮かび、何より冷たく残酷な含意をこれでもかと見せてくれます。グランは立派な創作者です。このパンダが太鼓判を押します。


、、、コロナ禍に注目されましたが、なに、この小説はもっと普遍的でしょう。

「ペスト」は変数です。
「戦争」だって「忌むべき思想」だって「政治腐敗」だって「いじめっ子」だって、
弾圧し、閉じ込め、虐めて回る奴をひっくるめた言葉です。そういうヤな奴に囲まれた者に勇気を与える素晴らしい書物だなぁとおもいます。


宮崎嶺雄訳はわかりづらかったけど、もしかしたらこれがフランス語の美しさというやつなのかもしれないぞ、ほら、志賀直哉も日本語なんか捨ててフランス語にしようと言っていたじゃないかと思い出し、

パンダちゃんは今デュオリンゴでフランス語を勉強してます。


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