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不妊治療中なので、惚気けます!
義実家から帰宅早々膀胱炎になり、なんだか自分の身体をうまく使えないなぁとヘコんでいる今日だけど、義実家への帰省中は嬉しいことが2つあった。
今回の帰省の目的は、結婚式をあげたホテルから結婚式1周年記念の招待してもらったことと、夫の祖父母に会いに行くこと。
夫の祖父母は、最近グループホームに入所したばかり。ずっと家で義両親が面倒をみてきたけど、この猛暑のせいか、痴呆や身体の衰弱が進み、ついにグループホームに住むことを決めたそう。お義父さんお義母さんの話を聞く限り、入所するまでも大変だったし、入所してからも家の片付けやいろんな手続き、祖父母のケアで大変そうだった。
私の祖母もそうだったけれど、いくら身体が弱り痴呆が進んでいるとはいえ、高齢者にとって長く住んだ家から離れるのは相当嫌なことなのだろう。祖父母は、今も「いつか家に帰れるんじゃないか」と思う気持ちを持っている、と義母は話していた。
確かにグループホームで会った2人は、まだよそ行きの顔をしていて、ここがこれから住む家だと思っていない感じがした。でも、そのグループホームでは、祖父母が並んで座れるように配置してくれて、部屋こそ別々なものの、2人が一緒にいれるように気遣ってくれていた。
そんな2人を見て、真っ先に「私も将来施設に入ることがあったら、夫と2人並んでいたいな」と思った。恥ずかしくてそんなことその場で言えなかったけど、あとで話すと夫も同じ気持ちになった、と。
「なんか、あれだね。グループホームでも2人並んでいられるなら悪くないね」と言われたときの私の高揚感を、ぜひ想像してほしい。(笑)
これが嬉しかったことの1つ。
もう1つは、結婚式後しばらくしていなかった結婚指輪を、夫がまたつけ始めたこと。つけなくなった当初は、それだけが愛情があることの証じゃないし、確かにつけると窮屈だからしょうがない程度に思っていた。
でも、何がきっかけかわからないが、つけてくれるとやっぱり嬉しかった!旅行後、「指輪どこ?またつけてみようかと思う」と言われた時は、「待ってましたー!」と思い、「今回は指輪をつけている手に慣れますように・・・」と切実に願っている。(笑)
その気持ちから自分を整理すると、私は、「最期まで並んでいたい」と思う気持ちと同じくらい、「相手に万が一があったとき、できる限り自分もその場にいたい」と願っているなと思った。だけど、コロナの制限があるなか経験した手術のように、また、突然起きてしまう事故のように、必ずしもそれが叶うとは限らない。そんな時に、なんとなく「同じ指輪を同じ場所につけている」ということが、繋がりを感じる私のこころの拠り所になっているのだと思う。
「そんなキモいこと思わないで」と笑われてしまうかもしれないけど、不妊であることがわかり、「もしかしたら子どもができないかもしれない」という現実と向き合い始めてから、夫との繋がりに関する感情は強くなっている気がする。
というのも、夫と2人で不妊に向き合い、システムコーチングを受けながら自分たちが一緒になった意味、これからも一緒にいる意味、一緒に作り上げていきたい世界を考えていく工程で、「子どもがいなくても私たちは一緒にいることに意味を見出している」という確信ができた。そして、「子どもの有無に関わらず、まずは2人で生きていこう」と決心できた。
私たちにとってこの不妊の道筋は、全く予期していないチャレンジだったけれど、スムーズに進んでいたらできなかった対話や衝突を通して、パートナーとしてのBond を強めてくれているように思う(そう思いたい)。
この道筋の中で、夫がいてくれたから自分がBetter person になっていると思うし、夫を My better half だと思える。今後、もし不妊治療がうまくいかなかったとしても、この関係を築く機会を得たことに感謝したい。
老いていく家族を見て、
そして、再びつけてもらった指輪を見て、
改めてそう思った。