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ミワさんのお菓子

我が家の向かいには私が生まれる前から、雀荘があった。ママさんはミワさんという人で、私の両親の親の世代に当たる年齢だった。

本当に真向かいに住んでいたので子供の頃はほぼ毎日ミワさんに会っていたと思う。ランドセルを背負って友達と一緒に下校していた時も、部活帰りでジャージ姿の時も、短いスカートのJK時代も、開店準備をしていたミワさんは、にっこり笑って、「あら、おかえりなさい」と声をかけてくれた。祖父母が遠くに住んでいる私には、もう1人おばあちゃんがいるみたいな感じだった。

とは言え、お店のママをしているミワさんはおばあちゃん、という印象はなく、さっぱりとしたベリーショートの髪に、キレイなブラウスとスカート、ワンピースを着こなして、靴もきちんとパンプスを履いて、かっこいい女だった。お店を1人で切り盛りしているだけあって、なかなか気も強くて毒舌で感じの悪い店員と言い合いになった話もたまに聞いたりした。

ミワさんはとても華奢で、本当に美味しいものを少ししか食べない、と豪語していただけあり、たまにお裾分けでいただくお料理はプロの味だったし、手土産でいただくお菓子やジュースはどこにこんな美味しいものが売ってるんだ?と子供心にびっくりするほど美味しかった。よく夜に電話がかかってきて、「ちょっと今出てこれる?渡したいものがあるのよ」と言われ家を出ると向かいの家の玄関からミワさんが手を振っていて、果物の入った紙袋や美味しい厚揚げなんかを0秒で取りに行ったものだった。

大人になるとミワさんに会う機会もだいぶ減ってしまったが、たまに会うと相変わらずおしゃれでキレイで、毒舌ぶりも変わっていなかったが、足腰が弱くなってきていて、向かいに住んでいるよしみで私の母がミワさんの家の花や生け垣の水やりやちょっとした手入れを代わりにやっていた事もあった。そのお礼にと、相変わらず美味しいお菓子や果物やおせんべいを度々いただいたものだった。

最近ミワさんの話を聞かないな、と思っていた頃、ミワさんは自宅でひっそりと亡くなっていた。隣町に住んでいる息子さんが母に挨拶に来た。息子さんはあまり会ったことがなかったが、ミワさんに似て、細身でかっこいい人だった。

亡くなる2,3週間前に母から、「これ、ミワさんからもらったお菓子、ちょっと持って行きなよ」とおせんべいの束をもらった。一口サイズのおかきの袋と、丸いおせんべいの袋。どちらも上品な味で美味しくて、さすがミワさんは美味しいものを知ってるなーなんて思っていたが、まさかそれが最後にもらうお菓子になるなんて想像もしなかった。賞味期限はそれなりに長く、ミワさんが亡くなったことがまだ信じられなかった私は残りのおせんべいになかなか手が付けられなかった。食べ切ってしまったら、ミワさんと本当にお別れしてしまう気がして。でも、おせんべいである。湿気てしんなりしてしまったら美味しくなくなってしまうだろう。せっかくのおせんべいを台無しにしたら、誰よりも美味しいものを美味しくいただくことに長けていたミワさんに怒られてしまう。

そうして賞味期限の少し前、手元にあったおせんべいを食べ切った。ちゃんと美味しかった。食べ切ったからと言って、ミワさんが夢に出てくる、なんていうドラマみたいなことも起こらず、ただ淡々と時は過ぎ、今に至っている。お店兼自宅だった我が家の向かいの建物は立て直して、息子さん家族が越してくるらしい。雀荘なんて子供には縁がなかったけど、取り壊す前にミワさんが大切にしていたお店の中を見せてもらいたいな、と思っている。私の母はミワさんから生前、何着か服を譲り受けていたらしく、ミワさんなりに終活をしていたようだ。いつも動きやすいカジュアルな格好の母がミワさんの服を着ると上品なマダム感がちょっと出て面白い。

ミワさんが亡くなる数ヶ月前、私の祖母も亡くなっていて、ここ1年ほどお別れが多い。友人や仕事関係の人、恋人などと出会う前の、まっさらだった子供の頃のわたしの姿を知っている人がいなくなってしまうからこそ、親族との別れは本当に悲しいのだと思う。血の繋がりはなくとも、ミワさんもきっとそういう存在だったんだな。本当にありがとうございました。またいつか、遠い未来に。

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