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白鷺とチャーハン 第2話

<幼稚園生 あやね>
自転車の椅子に座って、
お母さんを目でおいかけていると、
どうろをわたる信号のところに
だれかがたおれているのがみえた。
女の人みたいだった。

お兄ちゃんと私がケンカした時の
鬼みたいな顔とはぜんぜん違う、
でもすっごくいっしょうけんめいな目で、
お母さんはその女の人のところに走っていく。

何かがいつもとは大きくちがくて、
「お母さん、何してるの?早く行こうよ。
靴下買いに行くんでしょ?」とは
言っちゃいけないんだろうなって
ことだけがわかった。

ちょっとの間、
いすの上にすわったまま待っていた。
お母さんの他にも、
大人が何人か集まってきていて、
女の人に声をかけたり、
助け起こそうとしたり、
自転車を起こそうとしているお兄さんに
声をかけたりしている。

動かなかった女の人が顔を上げると、
口から血が出ていていたそう。
お母さんはその人をそうっと抱えると、
車が来ない道の方に
ゆっくりいっしょに歩き始めた。
「だいじょうぶ?歩ける?」っていう声が
風にのって聞こえる。

お姉さんを安全なところにうつすと、
お母さんは「電話、持ってる?」って言った。
「誰か、れんらくしたい人いる?」って。

お姉さんは「お母さんにれんらくしたい」
って言ったけど、手がブルブル震えて
ケータイをうまくつかめなかった。

「ちょっとごめんね、勝手にさわるね」
お母さんはそう言って
お姉さんのケータイを持つと、
「お母さん、で登録されてる?」と言って、
その人のお母さんの番号を見つけると
お姉さんに渡してあげていた。

その間、ガードレールに寄っかかって
足を投げ出してすわっているお姉さんの肩を
左手でずーーーっとさわってあげてた。


<製薬会社 社員 営業 英将>
1〜2分も歩いただろうか。
北のほうに向かうか、それとも西か…
と数少ない手持ちの営業先、
それもできるだけ人当たりの良い対応を
してくれる会社を思い起こす。

「ああ、今日は天気がいいなぁ。
このまま帰れればいいのになぁ」
その瞬間、誰かの「きゃー」という声と、
「どすん」という鈍い音が
重なって聞こえてきた。

横断歩道の手前で倒れている
若い女性の姿が見えた。

その傍らにやや離れて倒れている自転車、
そしておそらくその持ち主であろう、
若い男性が転がっている。

男性は、それでも女性のところに
何とかにじり寄り、
「すみません、大丈夫ですか?
救急車すぐ呼びますからね!」と
女性の肩を抱き起こして声をかけている。

ジーンズのポケットから携帯を取り出すと
119に電話をかけたようだが、本人も少し
混乱しているようだ。

携帯で場所を伝えているが、電話口で
詳しい場所を聞かれて
「えーと、この場所ですか?
えー、なんていうところだろ」と戸惑い、
近くに寄ってきた数人に
「すみません、どなたか、
ここなんていう交差点かわかりますか?」
と大きな声を張り上げて聞いている。

そばに立っていた初老の男性が、
「ここは◯◯大学下!」
とすかさず教えてあげている。

「どうしよう、困ったな」
それが真っ先に私の頭の中に浮かんだ言葉だ。
こういうとき、私はとっさに
スマートな振る舞いができない。

そんなことができるくらいなら、
もっと営業だって
苦もなくこなしているだろう。

それに、正直なところ、
ここで巻き込まれたら、
また先輩たちに何を言われるか……
そんな心配をしてしまったのだ。

でも、ふと見ると、倒れている女性には
数人の人が駆け寄っているが、
自転車の学生らしい男性は、
すぐに救急に電話を掛けた後、
一人で立ち上がろうとしている。

その手は手首に近い両手の平が擦り切れ、
ジーンズの膝にも穴があいてしまっている。
気づくと私は、その集団に一歩近寄っていた。


<専業主婦 泰子>
そんなことをぼんやり考えながら、
◯◯大学下の横断歩道を渡ろうとした
その瞬間、目の前を歩いていた、
大学生くらいの女性が突然視界から消えた。

「えっ?」
それと同時に「うぅぅぅわ〜〜ん」という
大きな泣き声が聞こえ、
緑色の、何というのかしら、
ほら若い人がよく着ている軽くて雨も防ぐ
上着を着た、同じように大学生くらいの
男の子が這いつくばって、
その女の子の方に寄っていくのが見えた。

すぐそばに彼の持ち物らしい、
自転車が放り出されたままになっている。
「ああ、ぶつかってしまったのね」
と理解した時、
横断歩道の信号が赤になった。

女の子の方はぐったりして動けない。
男の子も、女の子の状態を確認しつつ、
救急車を呼ぶのに電話をかけ始めて、
周りを全然見ていない。

「ちょっと、あなたたち。危ないわよ」
私は小さく声をかけた。
そこは、大きな通りで、車が本当に
ひっきりなしに通っているところだから。
でも私のそんな声は、目の前の2人には
届かないみたいだった。
「どうしよう……」

とっさに横にいた主人を見ると、
あの人は突然、
ビュンビュンと車が走ってくる道路に
飛び出していってしまった。

転げている若者の側に立ち、2人を
かばうように交通整理を始めたのだ。

電話をしている男の子が主人に向かって
何か叫んでいる。
「ここは何という交差点ですか?」
交通整理をしつつ、目は車の方に向けたまま、
主人が負けじと大きな声で
「ここは◯◯大学下!」と叫び返した。

私は、その様子を歩道からオロオロ
眺めていることしかできない。
近くに寄ってきた、茶色い髪の女性と
「だいじょうぶかしらねぇ」
なんて言い合ったりしながら。


<引退した料理人 義生>
横断歩道を渡ろうとした時、
目の前を右からビュンと通り過ぎようとする
黒い影と、やや目線を下に傾けた
若い女の子が目に入った。

左手に持っていたケータイが、若い者には珍しく
いわゆるガラケーと呼ばれる
白いケータイだったから、
一瞬「珍しいな。今どき」
とちらっと頭を横切った。

それを詳しく考えている間もなく、
気づくと「ドンッ」と鈍い音がして、
若い男と女の子が目の前で倒れていた。

どちらも少しの間、全く動かない。
女の子の方は、しばらくすると、
大きな声で泣き始めた。

これは救急車を呼ばないといかんな。
そう判断して、泰子に
「おい、ケータイを貸してくれ」
と言おうとしたが、倒れた若い男の方が、
自転車をそっちのけで、
女の子の方ににじり寄っていく。

動きが少しぎこちないが、
やや震えている手で
自分のケータイを取り出すと、
女の子に声をかけた。

「大丈夫ですか?
救急車すぐに呼びますからね!」
これは、俺が出しゃばるまでもないか。

そう思った時、右側から、
青になって動き始めた車の流れが
こちらに向かってどんどん
やってくるのが見えた。

とっさに私は道路に飛び出すと、
必死に女の子に声をかけ、
肩を抱きかかえながら119番で
状況を説明している若い男の背後に立って、
猛スピードで次々とやってくる車に頭を下げ、
進行方向の多少の変更を頼んだ。

その間にも、若い男は、
駆け寄ってきた子供連れの女性が
女の子の方に手を貸して立ち上がったのを
見届けつつ、自分も立ち上がると
ケータイで詳しい状況を説明しながら、
ついていこうとしていた。

泰子はどうしたかな……。
ふと頭をよぎったが、
「きっと大丈夫だ。
近くで待っていてくれるだろう」
そう思うと、
若い2人が安全に歩道に移動するまでの間、
道路の上に立ち続け、腕を振り続けた。


<経済学部大学2年生
競技自転車サークル 慶太>

まだ少し寝ぼけている頭の中で、
それでも俺は必死に考えていた。
「講義には間に合わないと、単位がヤバイ」
「でもその前に先輩からのミッションを
済ませておかないともっとヤバイ」

講義中でもお構いなしに、
「あれってどうなったー?」と
絶対に連絡が来るに決まっているんだ。

その2つのヤバイ、
をどちらも満たすためには、
どの道を通っていくのが最短ルートか、
そんなことを頭をフル回転させながら
必死にペダルを漕いでいた。

大会の時に楽になるようにと、
ちょっと重めの普通のMTBだから
出せるスピードはたかがしれてる。
それが今はちょっと恨めしい。

「うーん、こっちの道だと確か
坂を登らないといけないから、
ちょっと時間かかるかぁ。
でもあっちは確か今、
工事中だったよな〜」

そんなことを考えつつ
車道を驀進していたら、
前方に横断歩道が見えてきた。

歩行者側が青だが、誰も渡っていない。
その横断歩道を渡って
大きめのスーパーの裏を行くと
結構時間を短縮できる。
「ラッキー、青だ。こっちから行こう」

そう思った瞬間、
ちょっとうつむき加減の女の人が突然、
左側からひょこっと姿を現した。

「うわっ」と言ったのと同時に
MTBの前輪が鈍い音を立てて、
俺は地面に叩きつけられた。

「いってー」
右肩がじんじんする。
「これ肩いっちゃったかもな」
とぼんやり思った時だった。
近くから大きな泣き声が聞こえてきた。
道路に転がったまま声の方を見ると、
黒髪おかっぱの女の人がうずくまって、
道路に倒れていた。

「どうしようどうしよう」
一瞬にして、さーっと血の気が引いた。
ずりずりと這って行って声をかける。
右手が震え出す。
それでもジーンズに入れていた
ケータイを取り出すと、
女の人に声をかける。

「頼む、無事であってくれ」
祈るように女の人の肩を起こすと
上の歯茎と唇から血が出ていた。
「すぐ救急車呼びますからね!」
気づくとそう叫んでいた。
近くを通りかかった人たちが、寄ってきて
手伝ってくれる。

この交差点の名前なんて、
今まで意識したこともなかった。
救急の人に聞かれても全然名前が出てこない。
普段だったら絶対に出さない馬鹿でかい大声で、
俺は近くの人に交差点の名前を必死にたずねた。


<物理学部大学院1年生 悠香>
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
頭が真っ白になった。
そのあと襲ってきたのは、猛烈な痛みだ。

唇の上が熱い。太ももも、右の脇腹も痛い。
倒れた時に打ったのか、左側の頭も痛い。
口の中が鉄の味がして「ああ、切れてるのかな」
と思ったけれど、歯が取れていたりしたら
どうしよう……と
舌で触って確かめるのが怖かった。

近くに同じ年くらいの男の子が寄ってきて、
何かを聞いてくる。
よくわからない。
肩を起こされた時に「痛いっ」と言ったけど、
うまく発音できなかった。

私の耳元で男の子がどこかに電話して
何かを説明しているみたいだけれど、
遠くの方でぼそぼそ言っているくらいにしか
聞こえなかった。

「私、どうなっちゃってるんだろう」
そう思ったら、涙がぽろぽろこぼれてきた。
「どこか痛いですか?」
それを見て、男の子が不安そうに聞いてくる。
でもうまく説明できない。

その時、男の子に変わって、
あったかくて柔らかい腕が
左側から差し入れられた。
その柔らかさに安心して、
ゆっくり立ってみようと思った。

大丈夫、大丈夫。私はきっと大丈夫。

その腕の持ち主は、とても優しいささやき声で、
歩道の方へ私を誘導してくれた。
「大丈夫?歩ける?」
小さく2回くらいうなずき返す。

その人は、ガードレールのある所に
私を寄りかからせると、
連絡したい人はいるかと聞いた。
「お母さん」
でも、あんなに使い慣れたケータイを
私はうまく握れなかった。

その人は、相変わらず優しい声で、
「ちょっと勝手に触るね、ごめんね」
というと私のケータイを受け取って、
お母さんの番号を探し出してくれた。

お母さんの「もしもし?悠香?どうしたの?」
という声が聞こえたら、また涙が出てきた。
うまく説明できなくて言葉がつまる。
その間、優しい腕のその人は、
私の肩にずっと手を置いてくれていた。
とってもあったかい手。


<宅配会社 配達員 巴哉>
「さーてと、今日はこっちかな?
こっちのにするか?」
缶コーヒーなんて、どれも似たり寄ったりだろ、
そんな声が聞こえそうな気がするな。

でも、その似たり寄ったり、
違いがほとんど無いような中からでも
何かを「選ぶ」っていう行為が
僕をちょっとだけ楽しませるんだ。

どう見ても外国人にしか見えない
宇宙人が出てくるCMを思い出して
ちょっと笑いながら、
その会社の缶コーヒーにする。

この名前の缶コーヒーを買いながら、
「一番のトップになる、なんてこと
俺にもあるのかな〜」
なんて、一体何人、いや何百人の
世の中の男たちが
想像してるのかなとか思った。

「はっはは」ちょっとおかしくなって、
ゴトンと出てきた金色の缶を開ける。

その時、大通りの方から、
鈍い音が聞こえたような気がした。

続いて女の人の短い悲鳴と、
それを追いかけるように泣き声が続いた。
「ん?なんだ?」
日ごろから、仕事の癖というか、
目で周りを良く見るのと同時に、
音にも結構敏感になっている。

小さい違和感をキャッチして、
危険なことを回避する能力に関しては結構、
僕も捨てたもんじゃないよね〜などと、
かっこつけて言っては、
奥さんに「ハイハイ、そうだね」
といなされる毎日だけど。
開けてしまった缶コーヒーをおくと、
僕は大通りの方に行ってみることにした。

四叉路の手前の横断歩道に、
何人かの人が集まっている。
その人たちの足の間から、2人くらい
人が道路にうずくまっているのが見えた。

「うわっ。嘘だろ」
えーと、えーと、こういう場合は
どうしたらいいんだっけ?
いつも「予想外の出来事に弱いよね」
と奥さんに笑われている僕は、
またしてもその醜態をさらし始めた。

ちょっと落ち着いて、
人だかりがしているところを
遠目から冷静に見る。
道路にいる大きな初老の男性が、
キリッとした横顔で交通整理しているし、
子供連れの僕の奥さんみたいな女の人が
倒れている女の子に駆け寄っている。

倒れているのに、
自分でケータイ取り出している
若い男の子もいるし、
あれ?僕何かやれることあるのかな?

あ、そうだ、近くに警察署あるよな。
救急車が来るまでの間に、
警察官が来てくれたら話が早いんじゃ?
僕は、いつもはブレーキとアクセルを
踏むしかしないどちらかというと細い足で、
ちょっと小走りに近くの警察署に向かった。


<美容師 なつめ>
「えーー、なになに?」と思いながら、
◯◯大学下の交差点の方に向かう。
ママさんが自転車を固定して止めて、
後部席に小さな女の子を残したまま、
道路に倒れている大学生くらいかな?
の女の子の方へ駆け寄っていった。

初老のご夫婦のおじさんの方は、
短く切り揃えた白いヒゲが
太陽の下で輝いている。

堂々とした姿勢で、
ビュンビュン行き交う車に頭を下げて
「すみませーん、こっちを通ってくださーい」
と声を張り上げている。

時々、同じく道路に座り込んでいる
男の子からの質問に答えたりもして。

そのおじさんの奥さんらしき人に
声をかけられた私は、
「えっと、救急車とか呼んだ方がいいのかな」
とあたふたと
ケータイを取り出そうとしてみるけど、
道路に座り込んでいる男の子が
すでに自分でケータイを出して、
救急車を呼んでいるみたいだ。

椅子の上に取り残された女の子は、
ちょっと緊張気味で固まっている。

あの子の緊張を和らげた方がいいのかな、
えっとなんて言って声をかけよう?とか
色々考えていると、
その女の子は自分で椅子から降りてきた。

そして、ガードレールを背に座った、
さっきまで倒れていた
大学生の女の子に話しかけている
お母さんらしき人物のところへ、
ゆっくり向かっていった。

「あー、今行って邪魔しない方がいいよー」
と声をかけようとしたが、
その子は一言も発さなかった。

「ねえねえ、お母さん。帰ろうよ」
なんてことを言って
一生懸命になっている
お母さんの邪魔もしなかった。

ただ、真剣な顔で、
口から血を出して座っている
女の子の肩に手を乗せて
話しかけてあげている
お母さんに近づいていくと
そばに腰掛けた。

そして、ジーンズを履いている
お母さんの太ももに、そっと手を置いて、
お母さんのしていることを
じっと見守っていた。

私のそばに立った初老の女性は、
「そういえば警察は呼ばなくていいの
かしら」と突然言い出した。

「ああ、確かにそうですね」
そう言っていると、程なく、
近所の警察署から警察官が2人やってきて、
実況見分というのかを始めた。

「あら、誰かが呼んだのかしら」
警察官は「今、近くを通ったから、っていう
男性に聞いてきたんですけど、
事故はここですかぁ?」と
大きな声で誰にというのでもなく
話しかけている。

でも、そこは2つの区が
ちょうどまたがる場所にある交差点だからか、
警察官はしきりと事故が起きた、
まさにその場所が正確にはどこなのかを
気にして何度もたずねていた。

トランシーバーみたいな黒いやつで
「あー、あっちだと
◯◯署に連絡しないとまずいのか〜」
と誰かと話している。


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