「僕と世界の方程式」を観ました

私が無条件で魅了されるものや人はたくさんあります。
中でも、イギリス+理系の脳みそを持つ人、という最強の組み合わせの
主人公が出てくる「僕と世界の方程式」は、予告編を観たときから
絶対に観ようと決めていた映画です。

自閉症スペクトラムと診断されている主人公のネイサンは、ずば抜けた数学の才能を持っています。彼にその世界の美しさを教えてくれ、数学という
共通言語で心を通わせることができた唯一の存在である父親を、同乗して
いた車の事故で亡くしたことから、彼の頭の宇宙を理解出来る身近な人が
誰もいなくなってしまいました。

母親は深い愛情を持って接していますが、ネイサンの心をシェアすることはできません。彼女には数学がわからないからです。彼女の母性という愛情と
ネイサンが愛する、理性・論理というものは本来混じり合わない、反対の
性質を持っています。そのため、お互いがお互いの存在に困惑し、受け入れ
られないまま平行線がしばらく続いていきます。

この映画では、ネイサンの葛藤と成長に主軸が置かれているのですが、
私が心を奪われたのは、ネイサンが解を導けない、未知なる恐怖の感情を
扱いかねている時に、遂に先達として役割を得ることになる母親の姿です。

ネイサンは国際数学オリンピックにイギリス代表チームの一員として参加
します。台北合宿でパートナーを組んだ、中国チームのチャン・メイとの間に、これまで解いたことのない、そして解き方が全くわからない式(感情)が出てくるのです。

数学の先生に頼ることはできません。一人で解くこともできません。
彼が選んだのは母親のジュリーでした。彼女が物語の終盤、チャイニーズ
レストランでネイサンにアドバイスをしている時の笑顔が特に素敵です。
母としての顔ではないと思いました。論理的に説明のつかない、loveと
いうものを既に知っている「師」としての自信に満ちた顔だと思いました。

数学という言語を使おうとした時は、全くうまくいきませんでした。でもloveという言語でなら彼女は語れるのです。ネイサンの父親は彼女の旦那
さんでもありました。旦那さんへ持っていた愛情、そしてその相手がいなくなるという辛さを知っています。等しくかけがいのない対象を失ったという
ことは、ネイサンとジュリーの共通の痛みだったのです。

別の言語でもその共通項は説明ができることがわかりました。簡単に失ってしまうものだからこそ大切で特別である、瞬間瞬間が愛おしいものである
ことを自信を持ってネイサンに伝えるジュリーは母として初めて、本当の
意味で息子の役に立てたのだと思います。

他にも、ネイサンより自閉症の症状が強く出ている英国チームのチーム
メイトの苦しみや、チャン・メイの、予定調和を壊していこうとする
軽やかな精神の素敵さも印象に残りました。それについてはまた改めて
書ければいいなと思っています。


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菅野みゆき (2024年11月 salamanderから変更しました)
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