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アリストテレスの説く「思慮深い人」について

アリストテレスの「思慮深い人」という概念は、彼の倫理学における中心的なテーマの一つです。特に『ニコマコス倫理学』の中で詳しく論じられています。

大学の競技スポーツ部における組織運営では、すべての部員が思慮深いことが求められます。しかし、大学の部活動の構成員を見てみると、人格的に未熟な者が多く、そのようなメンバーにとって、競技スポーツ部は情操を育む場としての役割を果たしていると考えます。このことを念頭に置いて、

  • 思慮深い人

  • 思慮深い人でありつつそれと同時に抑制がない人

  • 癇癪持ちの人

について論じていきます。

思慮深い人とは

思慮深い人(フロネシスを持つ人)は、単に知識を持つだけでなく、その知識を実践に生かし、適切な判断を下すことができる人物を指します。アリストテレスはこの特性を「実践的知恵」と呼び、物事を正しく評価し、行動する能力が重要であると考えました。

特徴

1. 倫理的判断力:思慮深い人は自分の判断が倫理的に正しいかどうかを見極めることができ、善い行動を選択する能力を持っています。
2. 状況の分析:異なる状況に応じて、適切な行動を選ぶための状況分析ができるため、柔軟な思考を持っています。
3. 感情の管理:感情に流されず、冷静に判断できる冷静さを持つとともに、他者との関係性を重視します。
4. 経験に基づく知識:実生活の経験から得た知識を基に判断を下し、理論だけでなく実践的な側面にも重きを置きます。

アリストテレスにとって、思慮深い人は個人の品格や社会における役割を理解し、よりよい選択を通じて他者や社会に貢献する重要な存在とされます。これは単なる知識の蓄積だけではなく、実践的な応用を通じてより良い人生を送るための考え方であり、彼の倫理観の根底を成すものです。


「思慮深い人でありつつそれと同時に抑制がない人」とはどういう人なのか?

アリストテレスの思想において、「思慮深い人でありつつそれと同時に抑制がない人」という表現は、倫理的に矛盾する側面を持つ人を指しています。このような人は、理性的な判断力を持ちながらも、その感情や欲望を抑えることができないという状態です。

このような人の特徴

1. 理性的な判断を持つ:思慮深い人は理性的な判断力を持ち、倫理的な行動を選択できる能力を持っています。しかし、抑制がないとは、知識や理解があってもそれに基づいた行動をとることができないことを意味します。
2. 欲望の支配を受ける:感情や欲望に流されやすく、自分の判断に従った行動ができないため、実践的な知恵が十分に発揮できない状態です。例えば、短期的な快楽を求めるあまり、長期的な義務や道徳に反する行動をとることがあります。
3. 自己統制の欠如:倫理的な選択や行動を意識していても、強い欲望や衝動に抵抗できず、結果として望ましくない行動に出てしまいます。

アリストテレスは、「思慮深い人」であることと「自己を抑制する能力」を兼ね備えていることが重要であると考えています。理性と感情とのバランスが取れた人が、真に倫理的な行動を実現できるとされ、そのためには自己制御が不可欠です。従って、このような抑制がない思慮深い人は、自己統制の欠陥によって倫理的な理想を実現することが難しいとされています。


「癇癪持ちの人」とは?

アリストテレスが説く「癇癪持ちの人」とは、一時的な感情に流されやすく、怒りや衝動を制御することができない人を指します。彼の倫理学、特に『ニコマコス倫理学』において、この概念は重要なテーマの一つです。以下に、その特徴と位置づけについて説明します。

特徴

1. 感情の過剰反応:癇癪持ちの人は、何らかの刺激や状況に対して過剰に反応しやすく、特に怒りや不満が強く表れる傾向があります。彼らは自分の感情をコントロールできず、すぐに激昂することが多いです。
2. 理性の欠如:癇癪持ちの人は、感情的な反応に支配されるため、理性的な判断を下すことが難しいです。このため、自分の行動が他者に与える影響を考慮せず、衝動的な行動をとることがあります。
3. 人間関係への影響:癇癪を持つ人は、その強い感情的反応により、他者との関係を損なうことがあります。これにより、信頼関係や協力が難しくなり、対人トラブルを引き起こすことが多いです。

アリストテレスの考え方

アリストテレスは、感情のコントロールと理性的判断の重要性を強調しました。癇癪持ちの人は、感情に対する理性的な制御が欠けており、適切な行動選択を妨げます。彼は、徳(アレテー)を持つ人は、これらの感情を適切に管理し、冷静な判断に基づいて行動する人であると考えました。

癇癪持ちの人は、アリストテレスが提唱する理想的な人格とは真逆の存在とされます。理性と感情が調和し、冷静な判断を下すことができる「思慮深い人」に到達するには、自己制御が重要であると主張されます。このように、アリストテレスは癇癪持ちの人を警鐘として扱い、感情のあり方や人間関係に対する影響を考えさせるものと考えていました。


最後に

「悪徳な企て」について

アリストテレスが説く「悪徳な企て」とは、倫理的に誤った目的や手段を持って行動することを指します。特に『ニコマコス倫理学』や『政治学』の中で、彼は倫理的な徳と悪徳の概念を取り上げ、このような企てが個人や社会に与える影響について考察しています。

特徴

1. 誤った動機:悪徳な企ては、個人的な利益や欲望に基づく動機から生まれます。これが利己的であり、他者や社会全体に対する配慮を欠いています。競技スポーツ部では、個人成績に特化する考え方や、部活組織の地位や名誉がそれに当たる場合があります。
2. 非倫理的手段:悪徳な企てを行う人は、目的達成のために不正行為や不道徳な手段を用います。例えば、虚偽の情報を流したり、他者を欺くことが含まれます。
3. 自己中心的な視点:このような企てを行う人は、部活内の調和を考慮せず、自分自身の利益を最優先にします。結果的に、部員の信頼や協力を損なうことになることがあります。
4. 結果の自己責任:アリストテレスは、悪徳な行動の結果に対しては自己責任が伴うと考えます。悪徳な企てを通じて得られる成功は持続せず、最終的には自己の倫理的評価を損なうことになります。

アリストテレスの考え方

アリストテレスにとって、徳と悪徳は人間の行動における対立的な側面であり、真の幸福や良い生活は徳に基づく行動から生まれると信じていました。悪徳な企ては、個人の品格を傷つけるだけでなく、コミュニティや社会全体に対しても悪影響を与えるため、避けるべきものとされます。

「悪徳な企て」は、アリストテレスの倫理学において重要なテーマであり、個人の道徳的判断や社会的責任を考える際の警鐘となります。彼は、倫理的な行動に基づいて計画を立てることが、自己と他者の幸福に寄与する最善の方法であると強調しました。このように、善悪の判断は部活内の調和を維持するために必要不可欠であるとされています。
悪徳を企てることがないように規律を整備することも重要ですが、もし悪徳を企てる者が現れた場合、早期発見と早期対応ができるような組織づくりが必要不可欠です。そのためにも、部員一人ひとりの人格の向上が求められます。


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