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水本ゆかりちゃんの友達

「次にこのリスト、見てくれ」
 プロデューサーは一枚の書類をゆかりに渡した。短い文言が箇条書きで並んでいる。ゆかりはそれを上から順番に読み上げた。
「サイン入りブロマイド、アクリルキーホルダー、定期入れ、クリアファイル、卓上ミニカレンダー、ぬいぐるみ――ほかにもたくさんありますね……この中のどれかを私のニューシングルの購入特典にするんですか」
「そうだ。ゆかりをあしらったグッズをCDにくっつけて売るんだ。新規ファン獲得のためのプロジェクトだそうだ」
 プロデューサーはどうにも機嫌がよくないようで、投げやりな調子で言った。ゆかりはプロデューサーの不機嫌さに察しがついたがそれには触れなかった。
「リストの中からゆかりが好ましいと思うもののトップ3を選んでくれ。その意見を参考にしつつ、関係者で協議して実際に購入特典となるものを決める。じっくり考えてくれよ」
「わかりました、プロデューサーさん」
 ゆかりは頷き、リストを鞄にしまった。ゆかりの新曲をリリースするにあたって新しいファン層を開拓しよう、というのが今回のプロジェクトだった。より多くの人に水本ゆかりの歌を届けよう! という目標を掲げての挑戦であり、そのチャレンジへのアプローチとしてCDに特典をつけて売るという手法が採用されたのだった。
 まもなくプロデューサーとの話は終わった。ゆかりはプロデューサーのオフィスをあとにし、事務所の建物から外に出た。
 辺りはもう薄暗かった。腕時計に目をやると時計の針は17時を指している。つい数週間前まで暑い日が続いていたが、ここ最近は秋らしい涼しさを感じるようになってきた。太陽はもう姿を消し、空の色は黒に近いグレーとなり、街は街灯でまぶしくきらめいている。
 歩きながらゆかりはリストの中身を頭の中で反芻する。新規ファンを獲得するに際し、なぜ特典を付けるという発想に至ったのか、ゆかりにはよくわからなかった。
 ゆかりのことをよく知らないリスナーに歌を届けるのなら、耳に馴染みやすいメロディを売りにするとか、広報に力を入れるとか、CDをお求めやすい価格に設定するとか、そういう方法を採るのが得策ではないか。プロデューサーが機嫌が悪そうなのもそのへんに納得がいっていないからでは、とゆかりは思うのだった。
 そうはいっても購入特典プロジェクトは事務所全体の意見を集めて決めたものだとプロデューサーから聞かされていたし、その中で自分はベストを尽くすしかあるまいとゆかりは思い、家路を辿った。

「CDの購入特典の話だがな、あれはゆかりのサイン入りポストカード5枚セットをくっつけることに決まったよ」
 10日ほどあと、ゆかりはプロデューサーにそう言われた。自分の希望通りの特典が付くことになったんだな、とゆかりはその言葉を聞きながら思った。CDのレコーディングもすでに終わっているし、あとはパッケージ化して発売するだけだ。
「プロデューサーさんは、今回のプロジェクトに反対なのですか?」
 ゆかりはおずおずと聞いてみた。プロデューサーは口をへの字にしてから答えた。
「俺の考えが古いだけなんだろうが、いい歌を作っていけば自然とゆかりのファンは増えていくと思っているんだ。特典を付けずともな。だが事務所としてはCDにアイテムを付けることを決断した。それに対しては納得がいかん。俺ひとりが反対して覆るプロジェクトではないから、どうにもならんのだが」
「私もなぜ特典を付けるのかがよくわかりませんでした……でも事務所のみなさんもよく考えた上でのプロジェクトでしょう。きっと勝算があるんですよ」
「だといいけどな……ま、リリースしたあとの結果を待とう」

 そして実際にゆかりのCDはリリースされ、そこそこの売上を記録した。結果としてはいままでゆかりが世に出してきたCDの中では3番目に良いセールスとなった。しかし結果をプロデューサーが詳しく分析してみたところ、プロジェクトの目標だった新規ファン獲得につながったとは言いがたい、ということになった。ゆかりとプロデューサーは再び事務所で顔を合わせ、またしてもプロデューサーはゆかりに書類を渡した。
「これが売上の折れ線グラフな。売上の数字はそれなりに高いが、線は横ばいになっているだろう。急激に線がグッと上がっているとかそういうわけじゃない。ファンが一気に増えたとは言えん。その次のページに、ネット上の声をまとめてみた。読んでみてくれ」
 ゆかりは書類をめくった。SNS上のファンの声を拾ったもののようだ。ゆかりを賞賛する声も多く書かれていたが、中にはこんなものもあった。
『水本ゆかりの新譜、ちょっと興味あったけど余計な特典が付いてくるから面倒くさくて買わなかった。どうせポストカードとか古参向けのグッズでしょ』
「これは……少々残念ですね」ゆかりはしょんぼりした口調で言った。
「少なくともこのメッセージを書いたリスナーはプロジェクトの狙いからは外れちまったわけだな。これはあくまでネット上の声の一部を集めただけだが」
 プロデューサーの言うように、書かれているネット上の声は様々だ。特典を評価する意見もある。ゆかりへの感謝の言葉もあったりする。しかし否定的な意見が少ないわけではない。
「購入特典プロジェクトはこれでお終いなんでしょうか」
 そう言うゆかりに対しプロデューサーは首を振った。
「事務所はもう少しプロジェクトを継続する見通しを出した。もっと違うグッズを特典に付ければ再びチャンスがあるかもしれない、ということだそうだ。次にリリースされるCDにも特典が付く」
「そうですか……そこでまた、付ける特典を決めるにあたって私の意見も取り入れられたりするんでしょうか」
「そこはゆかりの提示するアイデア次第だな。なにか策があったりするのか?」
「いえ……でも、私も新しいファンの方が増えたらうれしいですし、事務所全体ががんばっているからには私もがんばりたいです。いいアイデアが思いつくよう努力します」
「そうか。俺もできるだけ考えてみるよ。担当アイドルががんばっているのに、俺が不満を抱えたままプロジェクトを進めていてもいかんよな……」
 プロデューサーは反省するような様子になった。私もがんばらないと、とゆかりは思い、良い特典がないか考え始めた。

 そんな中、ゆかりのクラスに転入生が来るという話が先生からあった。転入生は女の子で、親の仕事の都合で遠くの街から引っ越してきて、ゆかりの学校に転入してくるのだそうだ。女子が増えるのだと聞いてゆかりのクラスの男子は喜び、女子たちもどんな子が来るのかしらねーと噂をして盛り上がった。
 やがて実際に転入生がやって来た。朝のホームルーム、先生のあとについて教室に入ってきたのはスラリと背の高い、美しい少女だった。教室のそこここに、男子たちの歓喜の囁きが広がった。
 先生は手を上げて男子たちを沈めるよう身振りで示すと、チョークで黒板に転入生の名前を書き始めた。名前が全て書かれると、教室は再び騒がしくなった。今度は女子も困惑の声を上げていた。
「はいみなさん、静かに。転入生の佐倉木パンダ子さんだ。遠い街から来たぶん慣れないことばかりだと思うから、サポートしてあげなさい。席は……水本さんの隣が空いてるな。そこに座ってくれ」
 佐倉木パンダ子は「みなさんよろしくお願いします」と一礼して、スタスタとゆかりの隣の席に近づき、腰を下ろした。ゆかりは軽く会釈して「よろしくお願いします」と言ってみた。
「ん、よろしく」とパンダ子。艶やかなロングヘアからシャンプーの甘い香りが漂ってきた。近くで見るとより容姿の美しさが際立つ。アイドルとしてやっていけそうなルックスだなとゆかりは思った。
 先生からいくつか連絡事項が伝えられたあと、1時限目の授業が始まった。科目は英語で、ゆかりたちのクラスを担当する英語の教師は授業開始直後に教室に入ってきて間髪入れずに授業をスタートさせるという癖があった。今日もまたその教師は素早く教室に入ってくるとさっさと授業を始めた。
 それに対して佐倉木パンダ子は慌てて鞄から英語の教科書を取り出していた。声をかけておけば良かったかなとゆかりは思ったが、もはや授業は始まっていた。
 英語の授業が終り、休み時間になるとパンダ子の周りにクラスメイトが群がってきて、質問を浴びせ始めた。どこから来たの? 好きな食べ物は? 放課後どっか行かない? などなど。ゆかりは自分が隣に座っていたら邪魔だろうと思い席を立ち、教室の外をぶらぶら歩くことにした。
 廊下の窓から外を眺めると、天気はすっきりせず、曇り空だった。ゆかりはそのままぼんやりと考えに耽った。新しいファンを得るにはどうしたらいいんだろう。どんな特典を付けたらいいのか。
 ふと、ファンを増やす、というのは友達を増やすようなものだろうかとゆかりは思った。ちょうど、新しくやって来た転入生と友達になるように? そんな感じなのかもしれない。そのためには、どうしようか。
 短い休み時間が終り、ゆかりが教室に戻ると、パンダ子の席の近くからは人影が無くなっていた。みんな話したいことを話しきったのであろうか。そう思いつつゆかりは席に着き、次の授業の始まりを待った。
 そして昼休みになった。パンダ子は自分の席で、ひとりでお弁当を食べ始めた。ゆかりは天気が良くなってきたから中庭でお弁当を一緒に食べようよ、と友達に誘われたので付き合うことにした。そこでゆかりはその友達に言った。
「佐倉木さんを誘ってもいいのではないでしょうか。みんなでご飯を食べたほうが楽しいですし……」
 友達はばつの悪い顔になった。「なんかね、佐倉木さんてひとりでいるほうが好きみたいなの。休み時間にいろいろ聞いてみたけどあんまり答えてくれなくて、ひとりにしといてって言われちゃった。ちょっと怖い子だよ、あの人」
「そうですか……」
 美しい女の子だけれども、孤独を好む子なのか。でもせっかくなら友達になりたいな。そう思ってゆかりはひとりで食事を続けるパンダ子を見た。するとふいにパンダ子がゆかりに視線を向けてきた。なにか用? そう言っているようだったが、ゆかりはつい目をそらし、友達と一緒に中庭まで行った。
 そうして一日の授業がすべて終り、放課後となった。ゆかりは特に予定も無かったのでそそくさと学校をあとにすることにした。だがそこで、隣の席からパンダ子が声をかけてきた。
「水本さん」
 ゆかりは驚いて跳び上がって答えた。
「は、はいっ。なんでしょうか?」
「あのさ」パンダ子はゆかりをまっすぐ見つめながら言った。「この学校の中、案内してくれないかな」
「案内、ですか?」
「そ。保健室とか図書室とか、特別教室とか、なにがどのへんにあるかよくわかってないからさ、私。知りたいんだ、いろいろ」
「そうですか……わかりました。では、ご案内します」
 そんなわけでゆかりはパンダ子を連れて校舎を行ったり来たりした。ここが保健室、ここが音楽室、ここが図書室です……と学校内を歩き回る最中、パンダ子はしきりにメモ帳にメモを取っていた。一通り案内が終わると、ふたりは自分たちの教室に戻った。中にはもう誰もいなかった。パンダ子が言った。
「次に、先生について教えて。英語の先生、授業始めるのメチャクチャ早かったよね。ほかに変わった先生ってどれくらいいるの?」
「先生について? そうですね……」
 ゆかりは思いつくまま先生の紹介をした。パンダ子は再びメモ帳にペンを走らせていた。いま気づいたがパンダ子は左利きだった。話が一段落すると、パンダ子はありがとう、と言ってメモ帳を閉じた。
「あの、佐倉木さん、どうしてそんなにメモを取るのですか?」
 ゆかりは聞いた。パンダ子は片手で髪をかき上げて言った。
「んーとね、私、あんまり人を信頼するのって得意じゃなくて……だから、あらかじめ情報を集めて、その人についてどう接するかを決めるんだ。人だけじゃなくて、自分が居る場所についても詳しい情報がほしくなるんだけどさ。場所によって人の性格って決まってくると思うから。私の名前、変わってるでしょ? パンダ子って」
「いえ、素敵な名前だと思います」
「そう? 素敵かな? まあ私も嫌いな名前じゃ無いけどね。パパとママが付けてくれた名前だし。でもこの名前をなめてくるヤツって多くてさ。だいたい変な名前だってからかいにくるんだけど。だから私、他人を信頼する前に情報を貯めておいて、そいつが敵か味方か、よく考えるようにしてる。今日はまず情報収集の第一段階ってことで、学校と先生について教えてもらったの。付き合ってくれてありがとね」
 情報。それを集めれば、他人がどんなやつかわかるし、自分が他人をどう見るかを決められるのか。ゆかりはそう思った。
「佐倉木さん、では私は敵ですか。味方ですか?」
「んー、なんとなく、最初に見たとき水本さんは味方だなって思ったよ。水本さんは信頼できる人っぽいなって」
 佐倉木パンダ子は苦笑した。この少女の笑顔を自分は初めて見たな、とゆかりは思い、言った。
「佐倉木さん、音楽は好きですか?」
「音楽? 私、そういうのぜんぜんダメ。歌も下手だし、楽器もできない。芸術系って全部ダメだな。絵も描けないし、書道とかも下手くそだし。水本さんは音楽好きなの?」
「はい。歌うことは大好きです」
「へえ、どんな歌を唄うのが好きなの?」

 ゆかりは次に自分が出すCDの特典に付けるアイテムについてアイデアをまとめた。ざっくり言えば、ゆかりの自己紹介を書いた冊子、というものになった。冊子にはパンダ子との会話のように、自分についての情報をできるだけ詳しく書くことにした。単に好きなものや趣味についての記述だけでなく、それらをより深く掘り下げたものを書き、また普段は事務所でどんなレッスンに励み、どんな同僚たちと仕事をしているかを書こうと思った。これを読めば水本ゆかりという人間についてのまとまった情報が手に入る冊子を書こうと決めた。
 プロデューサーにそのことを話をしてみると、それでやってみようとGOサインを出してくれた。その後、事務所のほうでも話し合いが行われ、ゆかりの提案は受け入れられた。冊子にはゆかりの日々の生活を写した写真も載せられることになり、最後のページにはステージに立ったゆかりの視点から見た客席の写真を載せることとした。
 そしてまた楽曲が作られ、レコーディングされ、特典付きのCDがリリースされた。

『降りる駅間違えた! ダッシュでライブ会場まで行く!』
 パンダ子からスマホに届いたメッセージにはそう書かれていた。ゆかりは微笑んでスマホをしまい、衣装に着替えた。
 衣装を身にまとうと、プロデューサーが顔を出した。
「お客さん、いっぱい入ってるぜ。CDが売れた効果が出てるな」
「ええ……新しいファンの方も来てくれると思います」
「がんばれよ。いいステージにしてくれ。ゆかりならできると思うが」
「はい、全力でがんばります!」
 そしてゆかりはステージへ歩き出す。多くの人が集い、多くの人と出会う場所へと。

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