「好きを仕事に」の呪縛。
「好きなことを仕事にできるといいね」
昨年5月に亡くなった母が、私が学生の頃に折に触れて掛けてくれた言葉です。何軒かの調剤薬局を営んでいた祖父母が授かった3人娘の真ん中。母も伯母も薬大を出て薬剤師となり、晩年病に倒れるまで現役で働いていました。
祖父母には男の子がおらず、母としてもなんとなく「私は薬剤師にならなくてはならない」と背負うものがあったのだと思います。自身がある種決められた職業に就いたがために、子どもには仕事を好きなように選んでほしいという思いがあったのでしょう。私がやりたい仕事を見つけたときに、それを選ぶことができない状態にならないよう、母は身を粉にして働き、私に教育を受ける環境を用意してくれました。
口に出すことはありませんでしたが、私としても常にそのことへの感謝の思いがありました。受験は最低限の結果で切り抜けたとはいえ、「好きなことを仕事にしてほしい」という母の願いに対しては、私はなかなか100%胸を張って「おかげさまでできたよ」と報告することがついに叶いませんでした。
20代の頃の私は、好きなことがズバリ何なのか、結局分からなかったのです。
なんとなく「広告」を面白いと思う。それを職業とすることもできそうだ。で、総合広告会社に新卒入社。営業に配属されるも、営業が好きなわけではない。忙しさと面白さで、あっという間に5年が経過。
「自分はちゃんと好きを仕事にできているのだろうか?」
その後もこの問いに悶々とする期間が長くありました。性格上、目の前の仕事には手を抜けないのですが、何か心から「仕事が好き」と高らかに宣言できるような心境に至ることができず、それがずっと心に引っ掛かっていた気がします。
人生において眠っている以外で最も時間を使うのは仕事なのだと思います。かつて在籍したリクルート社では「仕事が楽しければ、人生が楽しい」というキャッチフレーズがキラキラと語られていました。そこはかとなく気後れする温度感が漂いますが(笑)、まあ言っていることはその通りだと思ったものです。
好きを仕事にしなければ。なのに、仕事に没頭しきれない自分がいる。そんな状態に焦燥感にも似た思いを感じていた時代がありました。
そうしたモヤモヤが雲散霧消していくきっかけになったのは、35歳での転職でした。7年続け、好きと感じ始めていた編集の仕事を諸事情あってあきらめ、広告業界の営業職に戻ったときです。ちょうどその頃第一子が生まれ、好きとか嫌いとかどうでもいい、経験が生かせて得意なことで貢献できる、稼げる仕事という軸で転職したのです。選ぶものを「好き」から「得意」に転換したわけです。
そこから悩みが消えました。「好きを仕事に」の呪縛から開放されたといっていいのかもしれません。好きな仕事をすることが母への恩返し…? ごめんなさい、それはできませんでした。でも、迷いなく仕事に没頭できる心理状態を手にすることができました。
母への恩返しを棚上げした代わりに、仕事への迷いが消える。皮肉なことです。母に申し訳ない気持ちを抱えながら、当の母の様子を覗うと…。そんなことは全くもってどうでもいいという顔でした。初孫がかわいくて仕方がないわけです。もはや息子が好きな仕事に就いたかどうかは母にとって大きな問題ではなかったようです。救われました、私が子どもに(笑)。
「好きを仕事に」。語り尽くされたテーマであり、もしかしたら今まさに、ご自身のこと、あるいはご子息のこととして悩まれている方もいるのではないでしょうか。おかげさまで私にはもう迷いはありません。
(この投稿はnote開始前のブログで2019年6月9日に発信した内容です)
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