みちのく潮風トレイル冒険録23:船越半島・霞露ヶ岳の死闘(岩手船越駅→ふれあいパークやまだ)
みちのく潮風トレイルのうち、釜石市と宮古市のあいだには、難所と呼ばれる半島が3か所ある。南から順に箱崎半島・船越半島・重茂半島だ。前回の旅では、このうちの箱崎半島を2日かけて攻略した。
箱崎半島の旅は暑かったものの楽しかったので、夏のうちにもうひとつ難所を攻略してしまおうと思いたった。そこで、箱崎半島と船越半島の間にある大槌町のセクションはいったん後回しにして、難所三兄弟の2番手・船越半島に挑むことにした。船越半島は一周約34km、アップダウンもあり一日で回ることは難しく、箱崎半島と同様に途中でセクションを区切る必要がある。しかし、楽しんで歩いた箱崎半島に比べ、想像以上にキツく、しかし歩き甲斐のある旅となった。
Day37:岩手船越駅→漉磯椎茸生産組合
2024年9月7日(土)
三陸鉄道リアス線岩手船越駅は船越半島の付け根のくびれたところにあり、南北を海に囲まれている。今回の旅はこの駅をゴール・スタートに、2日かけて船越半島を南回りに一周する冒険となる。
田の浜漁港の先にある荒神海水浴場は家族連れで賑わっている。トレイルは海水浴場の駐車場から山に入っていき、小さな峠をこえて再び海岸に出る。マップブックには、ここの海岸は高波時通行不可と記され、高波時の迂回路が示されている。浜の名は地図には記されていないので、「高波時通行不可海岸」と呼ぶことにしよう。
「高波時通行不可海岸」は、岩肌と海のあいだの護岸の上を歩く道で、確かにこれでは高波時は通ることはできない。この日は天気がよく波も穏やかだったので、安全に通ることができたが、それでも護岸はところどころ波に洗われ濡れている。
海岸を歩き終えると、急坂で山を登っていく。夏の暑さで汗ばんだ体にクモの巣がうっとおしくまとわりついてきて、体力を奪われていく。
なんだかおかしい。データブックでは、今日歩くセクションのピークは牛転峠202mだということを事前にチェックしていた。しかし、GPSを見ると標高は200mを既に越えてなおこの先も登坂が続いている。よく地図を見ると、この先に標高300mを越えるピークがあるようだ。等高線をよく読んでおけばわかったはずのことなのだが、想定していなかった登りに疲労が募る。
データブックに記載のない標高305mのピークには、「無名峰」というホタテの標識が掲げられていた。
牛転峠からは緩やかな林道の下り坂で小谷鳥海岸へ出る。この海岸には漁港があり、付近にはわずかながら人家が見える。ここから、本日宿をお借りすることを予定している漉磯(すくいそ)までは、大釜崎自然歩道を歩き、まだまだ距離があるが、ここまで予想以上に時間を要したおかげで、明るいうちに宿泊地までたどり着くのは難しそうだ。しかし、諦めて漉磯まで車道をショートカットするか、船越まで引き返すか、どちらにしても明るいうちに安全な場所に着くことができないことに変わりはない。それならばこのままトレイル本線を突き進んでしまおうと覚悟を決め、夕暮れの大釜崎自然歩道に足を踏み入れる。
自然歩道入り口の標識には、漉磯まで8.6kmの文字が。急いで歩いてもここから2時間以上かかる計算になるが、ここまで来たら腹を括るしかない。
大釜崎自然歩道に入り、小刻みにアップダウンを繰り返して小さな沢を何回も越えながら進んでいく。多くの沢には橋が渡してあって歩きやすいが、だんだん日が暮れてきた。ヘッドライトを装着し、クマ避け…というよりも暗闇への怖さを吹き飛ばすために大きな音量でスマホから音楽を流しながら進んでいく。漉磯口の自然歩道出口にたどり着くころには、日はとっぷり暮れてナイトハイクの様相になってしまった。
本日宿をお借りする漉磯椎茸生産組合"きのこのいえ"は、地元の方がハイカーのために整備し解放してくださっている無人の建物。その名の通りシイタケの生産のために建てられた建物のようだが、今はキノコの生産は行われていないのだろうか。建物の中はきれいに整備されており、水道や電気は来ていないもののトイレはある。屋根があるだけでありがたいが、休憩ができるテーブル・椅子のほか、畳が敷かれた一画まである。暗闇の中を歩いて心身ともに疲労したので、手早く携行食で腹を満たし、畳の上にシュラフを敷いて眠りに落ちた。
この日は、約20kmの道のりを7時間30分かけて歩いた。
Day38:漉磯椎茸生産組合→ふれあいパークやまだ
2024年9月8日(日)
翌朝、まだ暗いうちから自動車の音で目が覚める。こんな時間から動いている車といえば、ハイカーか釣り人かのどちらかだろう。
それにしても左膝が痛む。油断してトレッキングポールも持参してこなかったので、昨日の「無名峰」の登りで膝を痛めたようだ。今日は標高508mの霞露ヶ岳に登る。無理をせずに山登りは諦めて引き返すという選択肢もあるが…、やはりトレイルを進むことに腹を決める。
"きのこのいえ"を整備してくださっている皆様に感謝しながら、お世話になった建物を清掃し、交流ノートにメッセージを残して日の出とともに出発。海岸へと下る道の途中には沢水を汲めるスポットがあったので、ここで飲み水を補給する。
漉磯海岸に出ると、案の定釣り人たちの姿があった。先ほどの自動車の音の正体は彼らのようだ。
霞露ヶ岳は標高508m、登山に慣れた方ならそれほどの標高ではないかもしれないが、この山の最大の特徴は、登山口がここ漉磯海岸、すなわち標高0mの地点にあるという点だ。
海岸から山頂まで、登山道は九十九折りで一気に標高を稼いでいく。懸念していた膝の痛みも、登り坂ならばそれほど気にせずに歩みを進めることができる。
途中、眼下に海が見えるスポットが所々にあるが、暑さと膝の痛みで写真を撮る余裕もなかった。山頂に至る尾根筋にはブナの林が広がっている。
一歩一歩標高を稼いで、霞露ヶ岳の山頂へ。山頂付近には霞露ヶ岳神社の奥宮がある。
山頂から“参道口”まで下っていく道は、登りよりは緩やかな下り坂。しかし下り坂で膝に体重がかかると左膝が痛む。痛む膝を庇いつつ、ゆっくりと降りていくと、船越半島の北側、山田湾に浮かぶオランダ島が見える。
霞露ヶ岳参道口と示された地点には、通過するハイカーの数を数えるカウンターがある。私がカウンターを押すとカウントは10番を示した。いつの時点からカウントして10番目の登山者なのだろうか。
霞露ヶ岳神社のある大浦の集落まで下っていく道を進むと、麓から祭囃子が聞こえてくる。霞露ヶ岳神社の社には紅白の幕が巻かれ、どうやら今日は霞露ヶ岳神社のお祭りのようだ。
大浦漁港の前の広場が、お祭りのメイン会場であるらしい。出店も出ていたので焼き鳥をいただいて腹を満たしつつ、お祭りを見学する。漁港には一面に大漁旗がはためき、神輿が行き交い、獅子や虎の踊り、稚児舞など、子どもから大人までたくさんの人が力強く舞う姿は神秘的だった。ここ大浦でも東日本大震災では被害があったことと思うが、漁港に舞うたくさんの稚児たちの姿は、大浦という集落の漁業集落ならではの力強さを感じさせる。
時間を忘れてしばしお祭りに見惚れていた。そろそろ今日のゴールに向かおう。船越半島の付け根、浦の浜という地点を過ぎて、「ふれあいパークやまだ」を今日のセクションの区切りとする。この場所は元は「道の駅やまだ」だった場所で、古い地図には道の駅という記載が残る。山田町内の別の場所に新しい道の駅、「道の駅やまだ おいすた」ができた後、旧道の駅やまだをふれあいパークやまだと改称したそうだが、紛らわしい。
再び岩手船越駅に戻り、あまちゃんラッピングの三陸鉄道に乗り、2日間に渡る冒険は幕を閉じた。
この日歩いたのは約14kmながら、痛む膝をかばいながらゆっくり歩いたこともあり、お祭りを見学した時間も含めて9時間20分もかかった。暑さと膝の痛みで苦しい旅だったが、苦しんだ分だけ充実感のある2日間だった。
難所船越半島、中〜上級者向けのセクションだとは思うが、特に標高0mから登る霞露ヶ岳は登り応え抜群で海を見通す景観も良く、多くの人に挑戦して欲しいセクションだと感じた。
南側のセクションは未踏破。
北側のセクションも未踏破。
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